今日は教会の家庭集会のクリスマス会でレインボーミュージックジャパンのコンサートがあり、母と一緒に行って来ました。すばらしいコンサートでした。主を心からほめたたえているその賛美に胸が熱くなり、涙がこぼれました。
これから、母と一緒に実家に向かいます。大掃除の手伝いをしてきます。土曜日には帰ってきますが、留守の間コメントは受け付けない設定にしておきますので、帰ってきましたらまたよろしくお願いします。
お茶の水聖書学院ネットコースで学んでいることのほんの一部を紹介させていただきます。
今、旧約聖書の列王記を学んでいます。昔、イスラエルには王がありませんでしたが、民衆の希望でサウルが王としてたてられました。でも、サウルが神さまに従わなかったので、神さまは預言者サムエルによってダビデに油を注ぎ、ダビデを王としました。ダビデが苦難の後、ダビデ王朝を築き、その子ソロモンのとき国は大いに繁栄しました。でもソロモンの子、レハブアムの代で国は南北に分断されてしまいます。
列王記には分断後の北イスラエルと南ユダ王国の王の名が連ねられています。
読んでいると、北と南が交錯しており、しかもヤロブアムとかエホヤキムとか舌をかみそうな名前が出てきます。また、ヨアシュやヨラムのように同じ名の人が北イスラエルと南ユダにもいるのですから混乱します。
学んでいて次第にその混乱がなくなり、すっきり整理されてきました。今、一生懸命南ユダの王の名を順に覚えています。さびついて記憶力のにぶった頭なので、なかなか覚えられませんが……。
列王記には、北イスラエルと南ユダ王国の王が神さまの目にかなうことを行ったか、それとも悪を行ったかについて書かれています。王のなした功績や国の繁栄よりもこのことが重点的に書かれているのは、神さまの視点から見て大切なことは何かを示しているように思います。
イスラエルの多くの王たちは偶像礼拝をし、金の子牛を拝み、まじないをしました。何度も主は警告し「このようなことはしてはならない」と命じておられるのにもかかわらずです。イスラエルはついに滅ぼされてしまいます。
一方南ユダは、北イスラエルより長く続きます。それは、神さまの目にかなったことをした王がいたからでしょう。でも、結局ユダもバビロンによって滅ぼされてしまいます。エルサレムは焼かれ、人々は捕囚としてバビロンに連れて行かれます。
南ユダ王国が滅ぼされたところを読むと胸が痛みました。
「ユダを主の前から取り除くということは、実に主の命令によることであって」と書かれていますが、愛と赦しの神さまがなぜ? 神さまがダビデに約束されたことはどうなったの? と思いました。
そのような中で、エレミヤは70年の後に解放されることを預言します。イザヤはイエス・キリストがダビデの子孫から生まれることをはっきりと示します。そこに神さまのなさることの確かさを感じます。人はなかなか約束を守り通すことができませんが、神さまは約束を必ず守られるかただということを教えられました。
また、歴史を支配しておられるのは神さまだということもはっきりと示されました。
今まで列王記は、ややこしい王の名がたくさん出てきて、読んでいてもさっぱり意味がわかりませんでした。現代の日本に生きるこの者と、どうかかわりがあるのだろう?と思っていました。けれども、そこに隠されているメッセージがあったのです。
列王記を読んで、人間として生きるのにいちばん大切なことは、
「何をなしたか」ではなく、「神さまに対して忠実であったかどうか」「神さまをどれだけ愛したか」であることを教えられました。