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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

本当のクリスマス

2007-12-24 09:43:11 | 教会

Murano Island in Venice, Italy; home to the tallest glass tree in the world sculpted by master glass blower Simone Cenedese



昨日教会学校の分級(学年毎に分かれたクラス)でクリスマスビンゴゲームをしました。小学2年生のクラスで、クリスマスと聞いて連想するものを16考えて、ます目に書かせると……ツリー、サンタクロース、トナカイ等書く前に、イエスさま、マリヤさん、ヨセフさん、羊飼い、宿屋の主人……幼稚園のときクリスマス会でやったクリスマスページェントを思い出して書いています。さすが教会学校に通っている子供たちだと感心しました。子供たちは本当のクリスマスの意味を知っているのです。
「礼拝」「神さま」と書いた子供もいてはっとさせられました。
わたしは、それらのことばは書かなかったのです。くいしんぼうなので、ケーキとチキンなど食べ物を書きました。


礼拝と書いた子供たちは、赤ちゃんのころから家族で毎週礼拝を守っている子供たちでした。神さまと書いた子供は、よく祈っている子供です。
クリスマスと聞いてイエス・キリストを連想することはあっても、神さまを連想する人は少ないのではないでしょうか。でも、忘れてはいけませんね。
神さまが、痛みを感じながら、わたしたち人間のことを愛するが故にイエスさまを地上に送って下さった日、それがクリスマスなのです。


クリスマス礼拝では、クリスマスの真の意味についてメッセージをいただきました。


2000年余り前、イエス.キリストが存在していたということは否定しようのない事実です。ベツレヘムの馬小屋で生まれたイエス.キリストは、自分が神から派遣されたメシア(救い主)であることを人々の前で宣言されました。
イエスは大勢の群衆の前で「わたしが来たのは~のためです」と語りました。

1)わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないためです(ヨハネ12:46)
イエスさまは光として来たので、わたしを信じなさいと言われたのです。

2)だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)
わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)


パンも水も生きるためになくてはならないものです。わたしが与えるパンと水は人間らしく生きていくうえでなくてはならないものです。

3)医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人です。(マタイ9:12)
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。(マタイ9:13)


あなたは自分の弱さに涙したことがありますか?
あなたは、自分の醜さに震えたことがありますか?
あなたは自分の罪に打ちひしがれたことがありますか?
そのようなことがあるなら、わたしのもとに来なさい。休ませ、癒し、元気にしてあげよう。と語りかけて下さいます。

4)わたし来たのは羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。(ヨハネ10:10.11)

わたしがあたえるいのちは、生きる力を与えます。すなわち、生きがいを与え、生きる感動を与え、躍動して良きものを生み出す力を与え、良きものを沸き上がらせます。

光として、本当の食べ物として、癒し主として、いのちを与える者として来て下さったイエスさま。クリスマスはその方の誕生を祝う日です。


何て嬉しいことでしょう。もしイエスさまが地上に来て下さらなかったら、わたしはどうなっていたんだろう……と思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。


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