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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

実家の大掃除

2007-12-08 17:55:50 | 家族

さきほど実家から戻ってきました。
昨日は娘も来て、母、娘とわたしの親子三代で大掃除をしました。
洗剤を捜していたら、4年くらい前に父が買った洗剤が出てきました。粉状になっていて水で溶いて使う洗剤です。万能洗剤と書かれていました。きれい好きな父は、自分で買ってきて家の中のあちこちを掃除していたそうです。半分ほど減っていましたが、まだたっぷり残っています。


そういえば、思い出しました。3年前現在のマンションに引っ越したとき、父がこの洗剤を分けて持ってきたのでした。その1か月後に大動脈瘤の手術を受けているので、父がこのマンションに来たのはそのときが最初で最後でした。
父が召される半年くらい前からは、掃除もできなくなっていましたが、汚れているところは気になっていたようでした。わたしが実家に行ったとき、台所のレンジフードをふいたら、父がとても喜んだことを思い出しました。
今回もレンジフードを父の洗剤で磨きました。
「お父さん、きっと喜んでいるね。」
と母と話して、その後、父の思い出話に花が咲きました。


そして、はっと気づいたことは、母もわたしも父のことを話しても涙ぐんだりしなくなったということでした。もちろん、寂しさは感じます。もし、生きていれば曾孫を見てどれだけ喜んだだろう……などと考えると、胸がズキズキします。
でも、涙なしで父のことを語り合えるようになったのです。いつの間にそうなったのかわかりませんが……。


先月祈祷会でグリーフワークの学びをしました。愛する人を失ったとき、悲しみの対処法について、グリーフワークの10段階を教えていただきました。学びの通り10段階を経たわけではありませんが、母が父の死後1年余りで現実を受け入れられるようになっていることを感謝しました。
祈祷会のレジメに書かれていた文章の一部を紹介します。「すばらしい悲しみ」クレンジャー・E・ウェストバーグ著 地引網出版の「はじめに」より。


大切なものを失って嘆き悲しむのは、ごく自然なことです。時には失ったものがあまりにも大きくて、人生の土台が揺らぐほどのショックを受け、深い絶望の淵に投げ込まれてしまうこともあります。……私たちがもっと上手に悲しみに対処していくために、共に悲しみのプロセスについて学んでいきたいと思います。

確かに信仰はあらゆる悲しみに対して重要な役割を果たします。しかし、一部の人々が考えているような方法ではありません。彼らは強い信仰を持った人間は悲しまないし、そういったものは超越していると考えているようです……敬虔な信仰においては『真の信仰者は嘆き悲しまない』とは言いません。むしろ、悲しみには良い対処と悪い対処の両方があり、その人が人生で最も大切だと考えていることが悲しみ方にも表れてくると主張しているのです。

自らの喪失を正面から見つめ、その問題と前向きかつ誠実に取り組んで闘う人は、悲しみの体験を通してより強く深みを増した人間になり、他の悲しみにある人々をより効果的に助けられるようになることがわかってきました。

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