昨日、お茶の水聖書学院(OBI)の課題3のリポートが仕上がって、ようやく提出できました。課題3をやるだけで3か月もかかってしまいました。今回の課題は21項目もあり、1項目につき(DVD講義を聴く時間を入れないで)1~2時間かかりました。
まだ課題4が残っています。これは20項目あります。今年中に終わらせる予定でしたが、おそらく無理でしょう。期限があるわけではないので、延長することにしました。
たくさんのことを教えられ、発見や感動がありましたが、その一部を後日書かせていただくことにします。
今日は午後から「はこぶねクラブ」のクリスマス会で、パネルシアターを持って出かけます。天気になって感謝しました。歩いて持っていくのは大変ですから。
何人くらい子供たちがやってくるでしょうか? 教会で今年初めてのクリスマス行事です。
昨日友人から嬉しいメールを戴きました。「クリスマスの赤い星」を読んで、とても暖かい気持ちになったと書かれていました。
コメントがないので、ブログを読んで下さる方々が童話を読んでがっかりしているのではないか?と思いつつ掲載していたので、大いに励まされました。感謝。
この童話を書くきっかけとなった歌When I Kneel at the Manger Tonightの歌詞を紹介します。
What Can I Him ?
かいばおけのイエスさまに
ささげるものは
なにもないのです
わたしのこの心のほかは
かいばおけの王さまに
ささげるものは
なにもないのです
わたしのこの心のほかは
もしぼくが羊飼いならば
子羊をおささげできるのに
もしわたしがお姫さまならば
金の指輪をおささげできるにのに
かいばおけのイエスさまを
おいわいする
わたしの小さな心を
どうぞお受け下さい
明日からアドベント(待降節)に入りますが、この詩を読むと、自分がイエスさまがお生まれになった時の馬小屋にいるような気がします。家畜や、干し草のにおい。心地悪そうな飼い葉桶のベッド。寒くて、暗くて、赤ん坊が誕生するのにふさわしいところだとはとても思えません。
でも、ヨセフとマリヤはその晩、馬小屋に泊まらずおえなかったのです。宿屋は人であふれ、彼らの居場所がなかったからです。
なぜイエスさまがこのような最も貧しいところに生まれて下さったのか不思議です。
イエスさまは天と地を造られた神さまのひとり子です。罪のため、滅びの道をましっぐらに進んでいる人類を救う唯一のお方(メシア)です。
この世界の真の王であるイエスさまが、なぜこのようなところに生まれたのでしょう。
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 (Ⅱコリント8:9)
と書かれているように、それはわたしたちのためだったのです。
かいばおけに寝ているイエスさまをこの目で見たなら、どんな気持ちになるでしょう?
何かプレゼントをしたいのですが、あいにく何も持っていません。何をささげたらいいのでしょう。そのとき、この心をささげたいと思いました。罪ある汚れた心でしたが、イエスさまによって清くしていただけたのです。イエスさま、この心を、どうぞお受け下さい。
わたしの心をイエスさまは喜んで下さったでしょうか。