JCP55周年記念会で2回の講演がありました。1日目は大田正紀先生による「祈りとしての文芸 山本周五郎と聖書」2日目は黒川知文先生の「ドストエフスキーの信仰と文学」でした。
素晴らしい内容でしたが、世話役だったので、落ち着いて聴くことができなかたため要約は書けません。
リンク先の希望の風さんとメメントドミニの優子さんのブログに詳しく書かれていますのでご覧下さい。
わたしが感じたことを少し書かせていただきます。
「祈りとしての文芸 山本周五郎と聖書」
わたしはこれまで、山本周五郎がクリスチャンであることを知りませんでした。著作をほとんど読んでないのにタイトルだけは知っていて、山本周五郎を身近に感じていました。それは結婚前、神戸に住んでいたころ、家の本棚に山本周五郎の単行本がずらりと並んでいたからでしょう。母が山本周五郎の大ファンで、ほとんどの作品を読んでいました。
当時のわたしはあまり歴史小説に興味がなかったので、題名だけ眺めていました。
周五郎は子供の頃、父親に連れられて日本メソジスト横浜教会の教会学校に通っていたそうです。成人してからは教会生活を送ってはいなかったそうですが、聖書をよく読み、熱心に祈っていたそうです。
「さぶ」は「愛は罪をおおう」というテーマで、周五郎は本当の人間の愛を書こうとしたそうです。エデンの東の作者スタインベックの『はつかねずみと人間』をもとにして書かれたと聴いて驚きました。
わたしは「さぶ」だけは読みました。読んだのは確か高校生のころです。(でも、内容は覚えていません)中学生の時には学校で、「赤ひげ診療譚」の映画を観て、その感想文を書いたことを覚えています。
人間の中に潜む心の渇きを書いている「おごそかな渇き」(絶筆となった作品)、赦すということをテーマに書かれている「ちくしょう谷」をぜひ読んでみたいと思いました。
「ドストエフスキーの信仰と文学」
ドストエフスキーは、去年「カラマーゾフの兄弟」の読書ツアーに参加したこともあって、わたしの最も興味ある作家です。
生い立ちを聞くと、波瀾万丈といった生涯を送っています。16歳のとき母が亡くなり、18歳のとき父が殺されます。28歳のとき当時の政治集団ペトラシェーフスキー事件に連座したという理由で他の19人と共に逮捕され、8か月の取り調べの後、死刑を宣告されます。ドストエフスキーは2列目にいて、数分後には確実に殺されるというとき、馬伝令が到着し、皇帝陛下による恩赦が下って死刑を免れます。その後、4年間シベリアに流刑されました。その間は聖書しか読めなかったそうです。
これらの体験に重ね、癇癪の発作を起こしたり、恋愛遍歴、賭博に熱中、長女と次男の死などの体験が作品に投影されています。
ドストエフスキーの信仰は、2度目の妻アンナにより強められ教会に復帰したそうです。ドストエフスキーの行っていた教会は、ロシア正教会でプロテスタントともカトリックとも違いますが基本的には同じ教えだそうです。
森有正はドストエフスキーについて「かれの如く信仰と不信仰との激しい内的闘争を体験した人は稀であろうが、それは一に彼の内心の深い自己矛盾にその根源の存するものである」と書いています。
わたしも信仰と不信仰の間で闘い、大いなる自己矛盾を感じて苦しむことがあります。
この自己矛盾はローマ人への手紙7章に書かれているパウロの苦悩(わたしは自分でしたい善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています。ローマ7:19)と共通するような気がします。
「罪と罰」のエピローグに「しかし、そこにはもう新しい物語が始まっている……」と書かれています。苦しむ人間を描いた後の余白、神の恩寵にゆだねる余白として書かれている『新しい物語』という言葉に希望を見いだしました。
おわり