昨日の礼拝では、H・H先生によって『ひねくれ者シリーズ』第2回目のメッセージが語られました。先週はパリサイ人シモンでしたが、次週もひねくれ者の話をしますと言われたので、だれの話なのだろう? ザアカイかな、それともサウル王? と聖書の人物を色々思い浮かべながら心待ちにしていました。
ひねくれ者とは、名の記されていない律法専門家でした。聖書にはルカ10章25-37に書かれています。
律法専門家がイエスさまに質問をしたのは、村々に派遣されていた70人のイエスさまの弟子(12弟子とは別)が帰ってきて、イエスさまがその弟子たちに話をしているときでした。
「先生。何をしたら永遠の命を自分のものとして受け取ることができるでしょうか。」と律法専門家が尋ねます。イエスをためそうとして言ったと聖書に書かれています。
律法専門家は70人の弟子のひとりか、取り巻きのひとりだったと考えられます。
彼は、片方ではイエスさまに従い、片方ではイエスさまをためそうとしているというひねくれた面がありました。
彼は律法については専門家だけによく知っていました。
律法とは神さまの基準のことですが、広い意味では、旧約聖書全体を指す言葉です。狭い意味ではモーセ五書(旧約の最初の5つの書)に書かれている教えを指す言葉です。
その中で特に大事なことは、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。(申命記6:5)とあなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。(レビ記19:18)の2つです。当時のパリサイ人や律法専門家はこの2つが書かれている羊皮紙を小さな箱に入れ、ひもをつけて額にまきつけていたそうです。(山伏のように)
イエスさまは律法専門家に「律法には何と書いてありますか?」と尋ねます。律法専門家が大事な2つの教えを答えると、イエスさまは「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば命を得ます」と言われました。
神は、実に、そのひとりごをお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつためである。(ヨハネ3:16)
とあるように、行いではなくイエス・キリストを信じることで、永遠の命をいただくことができます。
イエスさまがあえて律法に書かれていることを尋ねたのは、律法専門家が、律法を守ることによって永遠の命が与えられるという間違った考えを持っているからです。彼は、律法を忠実に守っているつもりなのです。
そんな彼に正解を教えても反発するだけだと思い、イエスさまは律法専門家に合わせて話しています。
さらに律法専門家が「では、私の隣人とは、だれのことですか」と尋ねると、イエスさまはよきサマリヤ人のたとえ話をされます。
つづく