goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

創作の原点

2007-10-03 17:42:11 | エッセイ

恨み、憎しみをバネにして頑張って成功した人は少なからずいます。かつて自分を馬鹿にした人を見返してやろうと努力して何かをなし得た人もいます。でも、仮に賞をもらったり、社会的に認められたりしたとしても、恨みがモチベーションの場合、目的を達した後、空しさが襲ってくるのです。それは神さまが望まれることではないのですから。
わたし自身、『見返してやりたい』と思ったことがありました。
『自分をいじめた人を見返してやるために頑張る』といってきた方に手紙を書きました。


わたしが、いじめた人を見返すために作家を目指したのは中学3年の時でした。中2のときは、毎日死にたいと思っていたのですが、作家になりたいという目標を持ったために死にたいという思いから解放されたのですから、そういう意味では良かったのだと思います。

でも、間もなく挫折したのは、全く書けなくなってしまったからです。
書きたいテーマも見つからなくて、ぷっつり創作活動をやめてしまいました。
その後、キリストに出会って洗礼を受け、その2年後に結婚し、2人の子供が与えられました。育児が一段落したとき、子供や若者に神さまの愛を伝えるために童話や小説を書きたいという気持ちが沸き上がってきました。自分に与えられている自由な時間を書くことによって神さまにお捧げしたいと思ったのです。それで再び創作活動を始めたのですが、以前書いていたときと目的が全く違います。

以前はいじめていた人を見返すためでした。目的は有名な作家になることでした。
今回は、いじめていた人を見返すためではありません。有名な作家になることが目的ではなく、神さまの愛を伝えるためです。
中学生の時の気持ち――孤独と、どうしようもないほどの空しさ、自分の存在価値がわからず、死を願っていたことを思い出すことによって創作意欲がかきたてられます。

自分が天地万物を創造された神によって造られた者であること。造って下さった神は、わたしの罪を赦すためにひとり子イエスを十字架につけて下さるほどわたしを愛しておられるといいうこと。もしこのことを知っていたら、どれだけ嬉しかったか……と考えると、今を生きる子供たちにキリストを伝えたいという思いが沸き上がってきます。それが、創作の原点です。

自分の心の中を見ると、実に醜いものがあることに気づきます。いじめた人よりわたしのほうが大きい罪を持っていたのかもしれないと思います。心の中で呪ったり、恨んだりすることも罪なのですから、わたしはいままでどれだけ多くの罪を犯してきたでしょう。でも、それらの罪いっさいを赦すために十字架にかかってくださったイエス様のことを思うと、胸が熱くなります。
ですから、いまわたしは自分をいじめた人たち――消息もわからなくなっているその人たちが、どこかでキリストに出会い、キリストを信じる者になりますように祈っています。


キリストは、私たちのために、ご自分の命をお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。(Ⅰヨハネ3:16)

喜楽希楽会の会報

2007-10-01 16:51:10 | エッセイ

土浦めぐみ教会に喜楽希楽(きらきら)会という65歳以上の方の会があります。『神を喜び、隣人を楽しませ、天国の希望に輝いて喜ぶ』という意味だそうです。

その喜楽希楽で月1回発行している「ラボニ」という会報にわたしの書いたエッセイを掲載していただきました。ラボニというのはヘブル語で「先生」という意味です。マグダラのマリヤが復活したイエスさまに出会ったときイエスさまに「ラボニ」と言っています。
ラボニに掲載された物を紹介します。



父の召天

20数年前のことですが、祖母が召された時のことを思い出すと、後悔の思いで胸が痛みます。祖母は91歳で亡くなりましたが、亡くなる少し前に「わたし、死んだらどうしよう」と母に繰り返し言っていたそうです。
祖母は死んだらどうなるのか?死後、魂はどこへ行くのか?と不安だったのでしょう。

そのころすでに洗礼を受けていたわたしですが、キリストの十字架の意味と永遠の命について充分に理解していませんでした。それで、祖母に伝えることができなかったのです。

昨年、父が末期癌であと数か月の命だと知らされたとき、なんとかキリストを伝えたいと思いました。

でも、仏壇と神棚に毎日手を合わせている父にキリストを伝えて、受け入れてもらえるのかと不安でした。それまでも、実家にいくたびに三浦綾子の本やわたしの書いた証しを持っていき、読んでもらっていました。父の余命がわずかだと知ってからは、聖書の話しをし、声に出して祈りました。

最初は祈りに抵抗を感じていたようですが、祈ってほしいと父から言うようになり、聖書の言葉にもじっと耳を傾けてくれました。
だんだん病状が悪化し、召される3週間前にキリスト教のホスピスに入院しました。ホスピスでの礼拝に父と一緒に出ると、「よく聞こえなかったから、あとで説明してほしい」と言いました。

わたしは屋上庭園に父の車椅子を押していき、大声でイエス様のことを伝えました。
「イエス様を信じれば天国で永遠に生きられるの。また会えるのよ。だからお父さんもイエス様を信じて」と言うと、「うん」と言って深く頷きました。それが父と交わした最後の会話になりました。

洗礼を授けていただく時間がありませんでしたが、父はわたしが聖書の黙示録を読むのを聞きながら静かに息を引き取りました。83歳でした。わたしは父が天国へ凱旋したのだと確信しています。

葬儀を終えて実家から戻り、祈祷会に出ると葬儀の学びをしていました。(なんという素晴らしいタイミング!)
ピスガに納骨すると、家族や親族への伝道になるという先生のお話を聞いているうちに(父の遺骨を分骨してピスガに納めたい)という思いが与えられました。

そのとき、父の遺骨は実家にあり、翌月秋田のお寺の墓地に納骨することになっていたのです。最初、母は反対しましたが、後に同意してくれました。牧師先生に分骨していただき、めぐみ教会のピスガに入れていただけたのは、神様の大いなる恵みです。

人にとっていちばん大事なことは、永遠の命を持っているかいないかです。神様はキリストを信じるものには新しい体を与え、永遠の命を下さると約束して下さっています。

そのことを愛する家族に伝えることが大切なのに、なかなかできませんでした。
父が末期癌になり、時間が限られたおかげで勇気をもって伝えることができたのです。天国での再会への希望が与えられました。


父の救いのことをさらに詳しく書いた物が「百万人の福音」というキリスト教の月刊誌のペンライト賞に佳作入選しました。2008年1月号(12月半ば発行)に掲載される予定です。

拍手ボタンです

web拍手