金八先生の新しいシリーズが始まりました。このシリーズは欠かさず録画して見ています。(昨日放送分は、まだ見ていませんが……)
ご主人が中学校教諭をしている友人は、金八先生が嫌いだと言います。現実は、ドラマのように解決しない。実際、教師は金八先生のようなことができない。だから見ていると腹が立つと言いました。
確かに、金八先生のように24時間体制で生徒とかかわっていたら身がもたないでしょう。金八先生の姿にあこがれる生徒や親たちは、現実の教師の姿にがっかりするでしょう。
でも、わたしはドラマとして見ているので、金八先生を現実の教師と比較したりはしません。時代を反映して中学生に起きている問題を取り上げているところが興味深いのです。
親に愛されず、存在価値がわからなくなってさまよう子供。親の価値観に押さえつけられ、自分を見失っている子供。何でも内申書を良くするために行動してしまう子供。インターネット、ケイタイの普及で心が蝕まれている子供。そして、自分の子さえよけければ……と考える親たちの問題。
今月11日に放送された中で
茨木のりこの詩を金八先生が紹介していました。心打たれる詩なので紹介します。
「ぎらりと光るダイヤのような日」
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる
それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後仕末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや費沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々 の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
<本当に生きた日> は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
この詩を紹介した後、「人は生きていく意味がわからなければ、生きていけない。」と金八先生が言っていましたが、その通りだと思います。でも、肝心の生きていく意味については何も語りませんでした。ひとりひとり違うから、自分で見つけなさいということなのでしょう。
でも、それを見つけられずに悶々として、命を断ってしまう子供がいることを考えると、その正解を教えたいという思いにかりたてられます。
生きていく意味とは何でしょう……。
わたしは、毎日が<本当に生きた日>で、毎日が<ぎらりと光る日>です。何故だかわりますか?
神さまが、わたしのことを目的を持って造ってくださったと知ったからなのです。神さまの目的は、まずわたしが存在することです。わたしだけでなくあなたもそうなのです。
体調が悪くて一日ごろごろしている日さえも、わたしが存在していることに意味があると神さまは言ってくださっています。神さまを知っていれば、何にもしない日でさえも<ぎらりと光るダイヤの日>になるのです。
何をしたか、何ができるかではなく、あなたの存在そのものが高価で尊いのです。
あなたもダイヤの日を過ごすことができますように。
本当に人間の生きている意味、存在価値について多くの人に知ってもらうため、ますます用いられたいですね☆
“グッときました”という一言にジーンときました。
公立中学のあり方に、親子して疑問を感じていた頃でした。
次男の教室へ授業参観に行きたいと言って嫌がられましたが、良い先生になっていると、親ばかは信じています。
ご子息が高校の先生なのですか。きっと、良い先生でしょうね。美雨さんの息子さんですもの。