土浦めぐみ教会に喜楽希楽(きらきら)会という65歳以上の方の会があります。『神を喜び、隣人を楽しませ、天国の希望に輝いて喜ぶ』という意味だそうです。
その喜楽希楽で月1回発行している「ラボニ」という会報にわたしの書いたエッセイを掲載していただきました。ラボニというのはヘブル語で「先生」という意味です。マグダラのマリヤが復活したイエスさまに出会ったときイエスさまに「ラボニ」と言っています。
ラボニに掲載された物を紹介します。
父の召天
20数年前のことですが、祖母が召された時のことを思い出すと、後悔の思いで胸が痛みます。祖母は91歳で亡くなりましたが、亡くなる少し前に「わたし、死んだらどうしよう」と母に繰り返し言っていたそうです。
祖母は死んだらどうなるのか?死後、魂はどこへ行くのか?と不安だったのでしょう。
そのころすでに洗礼を受けていたわたしですが、キリストの十字架の意味と永遠の命について充分に理解していませんでした。それで、祖母に伝えることができなかったのです。
昨年、父が末期癌であと数か月の命だと知らされたとき、なんとかキリストを伝えたいと思いました。
でも、仏壇と神棚に毎日手を合わせている父にキリストを伝えて、受け入れてもらえるのかと不安でした。それまでも、実家にいくたびに三浦綾子の本やわたしの書いた証しを持っていき、読んでもらっていました。父の余命がわずかだと知ってからは、聖書の話しをし、声に出して祈りました。
最初は祈りに抵抗を感じていたようですが、祈ってほしいと父から言うようになり、聖書の言葉にもじっと耳を傾けてくれました。
だんだん病状が悪化し、召される3週間前にキリスト教のホスピスに入院しました。ホスピスでの礼拝に父と一緒に出ると、「よく聞こえなかったから、あとで説明してほしい」と言いました。
わたしは屋上庭園に父の車椅子を押していき、大声でイエス様のことを伝えました。
「イエス様を信じれば天国で永遠に生きられるの。また会えるのよ。だからお父さんもイエス様を信じて」と言うと、「うん」と言って深く頷きました。それが父と交わした最後の会話になりました。
洗礼を授けていただく時間がありませんでしたが、父はわたしが聖書の黙示録を読むのを聞きながら静かに息を引き取りました。83歳でした。わたしは父が天国へ凱旋したのだと確信しています。
葬儀を終えて実家から戻り、祈祷会に出ると葬儀の学びをしていました。(なんという素晴らしいタイミング!)
ピスガに納骨すると、家族や親族への伝道になるという先生のお話を聞いているうちに(父の遺骨を分骨してピスガに納めたい)という思いが与えられました。
そのとき、父の遺骨は実家にあり、翌月秋田のお寺の墓地に納骨することになっていたのです。最初、母は反対しましたが、後に同意してくれました。牧師先生に分骨していただき、めぐみ教会のピスガに入れていただけたのは、神様の大いなる恵みです。
人にとっていちばん大事なことは、永遠の命を持っているかいないかです。神様はキリストを信じるものには新しい体を与え、永遠の命を下さると約束して下さっています。
そのことを愛する家族に伝えることが大切なのに、なかなかできませんでした。
父が末期癌になり、時間が限られたおかげで勇気をもって伝えることができたのです。天国での再会への希望が与えられました。
父の救いのことをさらに詳しく書いた物が「百万人の福音」というキリスト教の月刊誌のペンライト賞に佳作入選しました。2008年1月号(12月半ば発行)に掲載される予定です。
それでも、行ったときには日々の暮らしの中に神様は豊かに私たちを取り扱ってくださることをそれとなく話したりはするのですが、それとなくでは伝わらないこと…
それでも、病を得て母の目線が優しくなった気がします。
>暮らしの中に神様は豊かに私たちを取り扱ってくださることをそれとなく話したりはするのですが
このことが、まず大事だと思います。あとは、時期を見計らって……。
たすくさんのお母様の癒しと救いのためにお祈りしますね。