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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

本当の自由とは

2008-09-28 17:29:07 | 教会

一生懸命努力して書いた小説でしたが、まだ×4と言われて落ち込んでいると思っておられるかたがいるかもしれません。でも、わたしはまったくと言っていいほど落ち込んでいません。もっとダメなのだと思っていたからです。

指摘されたことのほとんどが納得のいくことでしたし、言われなかった部分はちゃんと書けていたわけですから、以前に比べれば一歩前進というところでしょう。
祈って、神様に力をいただいてから書き直していきたいと思います。

今日の礼拝ではⅠコリント人への手紙10章からメッセージをいただきました。先週の日曜のメッセージから続いているので、先週のメッセージを先に紹介させていただきます。


クリスチャンは『~してはいけない』とか、『~しなければならない』ことが多くて、窮屈だと思っている人はいませんか?
Ⅰコリント人への手紙10章23節には「すべてのことは、してもよいのです。」と書かれています。

イエスキリストをおくってくださった唯一の神に信頼しているわたしたちは、何をしてもいいという自由が与えられています。

でも、本当の自由は自らを制約するものです。

23節の続きには「しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」と書かれています。
何をしてもよいけれど、すべてのことが神様を喜ばせるものではありません。

クリスチャンの倫理は、律法を守るか守らないかではなく、自由に基づく選択です。クリスチャンは正しい選択をできる力があるのです。だからクリスチャン人生は豊かなのです。

選択の基準は何でしょうか?

24節には「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」と書かれています。
選択の基準は他者への愛です。

ピリピ人への手紙2:4には「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」と書かれています。

選択の基準は選択の動機でもあります。キリスト者のあらゆる行動の動機は愛と感謝です。イエス様がどうだったか…・・・イエス様の犠牲の愛を思えば、他の人を愛することができるのです。

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かつてわたしは、自由とはあるがままに生きること。感情の赴くままに行動することだと思っていました。自分を抑えたり、がまんしたりしないで感情に任せて言動したとき、他の人を傷つけ、自分をも傷つけることに気づきました。癇癪を起し、あばれても何の良いこともありません。
本当の自由とは、何をしてもよいけれど、何をするか選択していくことなのですね。

三浦綾子さんの小説「病めるときも」の中に「右か左か判断に迷うときは、自分に損になる方を選びなさい」というようなセリフがあったことを思い出します。自分が損をして、他の人が益となる方を選択することをすすめているのです。そのような選択ができるのはキリストの生き方がそうだったからですね。

教会学校で賛美した「これこそ愛」の歌詞「ぼくたちはイエスさまから愛をたくさん受けたのだから、友だちを助けてあげたい、これこそ愛」を思い起こしました。

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