8日、9日は日本クリスチャン・ペンクラブの研修会「オータムジョイフル」に参加しました。
宿泊した寄居かんぽホテルは高台にあり、見晴らしの良いところでした。まだ夏の暑さが残っているものの風は涼しく、間近に迫る山の中腹に家々が建ち並ぶのをみて、一瞬スイスにいるような錯覚に陥りました。
参加者は、3名の新しい方を含め総勢23名です。力強い賛美から始まりました。
研修の一部を紹介させていただきます。
開会礼拝では、理事長のI先生がメッセージして下さいました。
わたしたちは特別に偉い人の影響も受けますが、名もなき小さな身近な人からも影響を受けます。身近な人のあかしが、救われる大きなきっかけになることがあります。
多くの高齢者は生きる喜びを失っています。でも、わたしたちは天に召されるまで使命を持ち続けます。イザヤ書には次のように書かれています。
わたしに聞け、
ヤコブの家とイスラエルの家の
すべての残りのものよ。
胎内にいる時からになわれており、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、
わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って救い出そう。
(イザヤ46:3.4)
「夕暮れ時に光がある(ゼカリヤ14:7)」とあるように、人生の夕暮れ時が祝されるのは、わたしの命を天国に運んで下さる神様がおられるからです。
『わたしに聞け』とは祈りを促すことばです。神のみ声を聞くことから神を知るようになります。
「人生を導く五つの目的」(リック・ウォレン 著)に書かれているように神を喜ぶことがわたしたちの生きる目的です。
遠い大昔のことを思い出せ。
わたしが神である。ほかにはいない。
(イザヤ46:9)
神のみ業(わざ)を思い出すことが大切です。年をとると忘れることも多くありますが、忘れるということは、次のことを覚えるために必要なことです。
神のみ業を思い出すことは、信仰の初心に返ることで、思い出すことは脳を働かせることです。
23歳で召された滝廉太郎は、召される前に「『荒城の月』が歌われるかぎり、わたしのことが思い出されるだろう」と言ったそうです。
イエス様はわたしのことを覚えていて下さいます。
書けるうちに遺言状や詫び状を書きましょう。命はいつ取られるわからないので、わたしに託されたペンの業を今日のうちに書き遺しておきましょう。
つづく