生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

シモン・ペテロ(その1)

2008-09-20 21:41:49 | 聖書から

昨日は我が家での家庭集会でした。聖書はルカ5:1-11で
「深みに漕ぎ出したシモン・ペテロ」の学びをしました。緑字は聖書、青字は牧師先生のことば、茶色字はわたしの感想です。


1節
群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられたが、


群衆というのは数千人いたと考えられるそうです。群衆が押し迫るようにというのは、イエスさまのことばに強い関心を示していることを表しています。イエスさまのことばを「神のことば」と書いているのは、筆者のルカが、イエス様が神様だと告白していることを示します。ゲネサレ湖というのはガリラヤ湖のことです。


2節
岸辺に小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
3節
イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。


イエス様はシモンの舟に乗って群衆に向かって話をされました。そのとき、ペテロはイエス様と一緒に舟に乗っていたので、いちばん近くでイエス様の話を聞いていました。
数千人の人に話してマイクもなしに聞こえたのは、まわりが静かだったからでしょう。人々も静まり返って熱心に聞いていました。


4節
話が終わるとシモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。


話が終わったとき、これまでイエス様は1対数千人でしたが、シモンと1対1になって言われました。「深みに漕ぎ出して・・・・・・」


5節
するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」


シモンはプロの漁師でした。一晩中漁をして魚が一匹もとれなかったときは、網をおろしても無駄だということを経験から知っていました。
イエス様は、漁師ではありません。それなのにシモンが「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」と言ったのは、イエス様の言われることを理解したからではありません。

シモンはイエス様とは初対面ではなく、その前にイエス様がシモンのしゅうとめの熱を癒されたのを見ています。(ルカ4:38-40)


イエス様に不思議な力があることを思って従ったのかもしれません。


6節
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。


理解できなくても従うことが大切です。従ったら理解できることがあります。
神様のことを理解できないのは神様に問題があるのではなく、その人に問題があるからです。理解できなくても、従うことが信じるということです。



かつてのわたしは、へりくつを言って納得しなければ従わないと片意地張っていました。
長年漁師として働いていた経験から、網を下ろしても魚が捕れるわけないと思っていたのにもかかわらず、「でも、おことばどおり網をおろしてみましょう」と言ってイエス様に従ったペテロを見習いたいです。


                つづく


写真は先日ヒックンと行ったポティロンの森です。

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