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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

シモン・ペテロ(その2)

2008-09-22 12:50:59 | 聖書から

19日の家庭集会の学びの続きです。聖書箇所はルカ5:1-11です。
緑字は聖書、青字は牧師先生のことば、茶色字はわたしの感想です。


7そこで別の船にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。
8これを見たシモン・ペテロはイエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。
(略)10イエスは、シモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」



漁師であるペテロの最大の関心事はどれだけ魚が捕れるかということのはずです。大漁はすなわち富を得ることです。
二そうの船が沈みそうになるほどの大漁だったわけですから、イエス様に「これからも漁を手伝ってください」と言うのが普通でしょう。ところが、ペテロはイエス様に「わたしのような者から離れてください。私は罪深い人間ですから」と言いました。

ユダヤ人にとって、罪深いというのは死に直結することです。
そのことに対して、イエス様は「こわがらなくてもよい」と言われました。
その言葉には、『わたしはあなたを死なせるために来たのではない。あなたにもういちど命を授けたのだよ』という意味が含まれます。


聖なるものにふれたとき、自分の罪深さに恐れをなすという気持ちはわかります。わたしは祈るとき、毎日「神様」と気安く語りかけていますが、自分は聖なるお方に話しかける資格がないのではないかと恐れを抱くことがあります。自分の中に醜い思いが巣食っているからです。

確かに神様と人との関係は罪によって断ち切られていました。でも、イエス様の十字架によってわたしたちは神様の子どもとしていただけ、親しい関係に回復しました。

シモン・ペテロを招いたとき、イエス様は十字架にかかる前でしたが『あなたにもういちど命を授けたのだよ』と完了形で伝えています。



11彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。


ペテロはイエス様の言葉に従ってから理解できたのです。イエス様に命を感じたのです。自分の本質を見透かされ、イエス様は自分の本質にある問題を解決して下さる方だと感じたのです。
だからこそ、取れた魚すら捨ててイエス様に従いました。ペテロの中で価値観の転換が起こったのです。



牧師先生による聖書の説明のあと、家庭集会出席者ひとりひとりイエス様に出会ったときのあかしを話しました。そのとき6人の方が話しましたが、それぞれ別の方法で神様から働きかけられ、キリストに導かれていったことを知って感動し、感謝でいっぱいになりました。


                   おわり

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