静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2020年07月19日 | 天のマナ
 「わたしにあるものをあげよう」

 正典である聖書66巻がまだない時代、神は神の御使い、預言者、夢や幻を通して語られました。旧約時代のヨセフを始め、新約時代のマリヤ、使徒ペテロやヨハネ、パウロにもそうでした。しかし、今、聖霊なる神は、正典である神の言葉(聖書)をもって語り示します。ですから、日常生活で示されたように感じても、それが思い込みなのかどうかを、聖書のみ言葉で識別し確認する必要があります。

 教会のカレンダーのみ言葉によって励まさました。7月号のみ言葉は、故姉が書かれたものでした。先人の信仰が、今もみ言葉を通してあらわされ、その信仰者を通して、聖霊は私に語って下さっていると、心篤くされました。故その兄姉が天に召され、もう半年かという思いとまだ半年かという思い、様々な思いがあります。このコロナ禍の中、二人だったらどんな聖書の言葉を、どんな信仰の言葉を語らているかなあと、思いを巡らします。私も「あの牧師は、よく〇〇のみ言葉を語っていたなあ」と言われるように、み言葉を残す者でありたいと願っています。

「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒行伝3章6節)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天のマナ | トップ | 天のマナ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

天のマナ」カテゴリの最新記事