静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2017年08月06日 | 天のマナ
「平和を考える」 「キリストはわたしたちの平和であって」(エペソ2:14)
 
8月は、広島と長崎の原爆の日があり、終戦記念日もあります。他の日よりも「平和」について考える月であります。現代も朝鮮半島の平和と有事について、多く語られています。「なぜキリスト教を背景にもつ国が、戦争をするの?」「主イエスは『あなたの敵を愛しなさい(マタイ5:44)』と教えたはずなのに、矛盾を感じないのか」と問われます。歴史を通して教会において二つの考え方があります。一つは非戦論、もう一つは義戦論です。初期の教会は、絶対的平和主義で非戦論の立場でした。四世紀頃、無実な市民を悪しき敵の勢力から守る目的で、厳しい条件付き(詳しくは学び会で)の戦争容認をする「正義の戦争論」がでてきたのです。これは、皇帝や将軍が横暴に侵略する戦争を止めようとする目的もありました。この思想は、現代でも国際法や国連の諸活動に適応され、戦争抑制のために機能しています。しかし、歴史を見ると、一度小さく容認した戦争への道が拡大解釈されて、本来の目的をそれ、悲劇を生んできたのです。(教団リバイバル参照)
 今でも、「非戦論」と「義戦論」とがあります。聖書に返り、この時、各自で考えてみましょう。
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