「神の子なるイエスの輝き」 マタイによる福音書17章1~13節
ヘルモン山にて主イエスが光り輝く姿に変わられた(変貌)の箇所でありますが、姿が変わったというより、神のひとり子としての本来の姿があらわれたということであります。
Ⅰ 人となられた神の子イエス
永遠から永遠にいたるまでの神のひとり子主イエスは、救い主としてこの世界に肉体をとられて来られました。主イエスのご降誕の記事を見ればわかります。洗礼を受けられてから、ペテロの信仰告白を受けられてから、つまり、この地上を歩む途中から救い主になったのでもありません。
ただ、私たちを救うため、永遠から永遠にいたるまで神のひとり子であり神である主イエスが、神のひとり子である性質をこの地上では肉体をとられたことにより自らを制限されていたのです。
Ⅱ 神の子なるイエスの輝き
このヘルモン山にて、十字架を前にした主イエスは祈りの中で、神のひとり子としての主イエスの本来の姿、聖なる輝きがしばらくの間、肉体を透り抜け溢れ出たのでありました。主イエスの顔は日(太陽)のように輝いたのです。それはまさしく神としての威光でありました。そこにモーセ(律法の代表)とエリヤ(預言者の代表)があらわれ、主イエスと話し合われていたのです。その内容は、主イエスがこれからエルサレムで成し遂げようとする最期のこと(律法と預言の成就である十字架と復活による救いの出来事)でありました。
その後、天から父なる神の声がありました。それは主イエスの洗礼の時と同じ内容で、この主イエスこそ、神のひとり子であり神のみ心に全くかなう者であり、王としてのメシアであり、受難のメシヤでもあるので、この主イエスに聞き従いなさいというものでした。
私たちが信じている方は、真に神のひとり子であり救い主であることを感謝するのであります。本日もこのお方を礼拝し、このお方にお出会いいたしましょう。
2011/10/2 説教者 杉本守