「一番近い人への感謝」(すべての事に感謝しなさい)
「当たり前からの卒業」という言葉をある牧師から聞きました。私は、日々の生活の中で、身近にいる人に助けられ、一番近い人に支えられていることをすぐに忘れてしまい、その人やその人の行為を当たり前のように受けとってしまいます。そして、その人がそれをしてくれないと不平をすぐに言ってしまいます。普段してもらっていることへの感謝の言葉もなくです。そして、たまあにしてもらう方からの親切を新鮮に感じ、すごく感謝するのです。困ったものです。まずは、身近な人に、「ここに目が開かれよ!」です。
身近な人が旅行などで家を少し空けたり、病気などで休んでいるとすぐに、その方のありがたさがわかります。やっと気づくのです。数ヶ月前に妻が、義母と二泊三日旅行にいきました。洗濯物は溜まるは、食事作りは嫌になるは、必要なものは出てこないや、家は散らかるは、「早く帰ってきておくれ」と、言葉にはプライドがあって出さないものの、心の中ではそう叫んでいました。
夫は妻の働きに感謝し、妻は夫の働きに感謝することから、家族へ、社会へ、お互いの労をねぎらい感謝する輪が広がるのですねー。
「当たり前からの卒業」という言葉をある牧師から聞きました。私は、日々の生活の中で、身近にいる人に助けられ、一番近い人に支えられていることをすぐに忘れてしまい、その人やその人の行為を当たり前のように受けとってしまいます。そして、その人がそれをしてくれないと不平をすぐに言ってしまいます。普段してもらっていることへの感謝の言葉もなくです。そして、たまあにしてもらう方からの親切を新鮮に感じ、すごく感謝するのです。困ったものです。まずは、身近な人に、「ここに目が開かれよ!」です。
身近な人が旅行などで家を少し空けたり、病気などで休んでいるとすぐに、その方のありがたさがわかります。やっと気づくのです。数ヶ月前に妻が、義母と二泊三日旅行にいきました。洗濯物は溜まるは、食事作りは嫌になるは、必要なものは出てこないや、家は散らかるは、「早く帰ってきておくれ」と、言葉にはプライドがあって出さないものの、心の中ではそう叫んでいました。
夫は妻の働きに感謝し、妻は夫の働きに感謝することから、家族へ、社会へ、お互いの労をねぎらい感謝する輪が広がるのですねー。