「神の国にふさわしく」 マタイによる福音書21章33~46節
主イエスは、十字架を一週間前にして、三つのたとえ(兄弟のたとえ、ぶどう園のたとえ、王子の婚宴のたとえ)を語りました。今日は最初の二つから、主のメッセージをいただきましょう。
Ⅰ 神の国にふさわしくない姿
兄は、「父がぶどう園に行ってくれ」との言葉に、「はい、行きます」と言いましたが行きませんでした。これは神に外面的には従っているように見えるが、実際は神に従っていないユダヤ人を指しています。弟は、「嫌です」と言いましたが、後で心を入れ替えて行きました。これは、外面的には従ってないように見えるが、神のメッセージにさされ、心から悔い改めた取税人、遊女らの罪人、異邦人のことであります。
ぶどう園のたとえも同じです。家の主人は神、ぶどう園は神の民、農夫たちは神の民の指導者、僕たちは預言者ら、主人の子は救い主イエスです。神の民の指導者らは、神の信頼を裏切り、自分達の分(管理を託された者であること)を忘れて主人になろうとしまっていたのです。この姿は神の国にふさわしくありません。
Ⅱ 神の国にふさわしくあれ
主人は、多くの僕を送り、息子まで送った。ただちに滅ぼすことのできる力をもって、事柄を解決しようとはしなかったことをみます。それは、神の忍耐強さをあらわします。そして、1人でも多くの者が神に立ち返るように願っているのです。
神の恵みの時、救いの日のうちに神に立ち返り、自らを分をわきまえ、神の信頼に応える者でいましょう。
2012/7/15 説教者 杉本守