静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2015年11月15日 | 天のマナ
「教会の大牧者なるキリスト」 

 大説教者スポルジョンは青年の時、教会に行こうと思いました。しかし、吹雪によって阻まれ、近くの小さな教会に飛び込みました。牧師は吹雪によって来ることができず、信徒が説教していました。それは説教というものではなく、「わたし(神)を仰ぎのぞめ、そうすれば救われる」(イザヤ書45章22節)を何度も連呼していただけです。しかし、スポルジョンの心がうちに燃える経験をしました。彼は子どものころから教会に行っていたので、キリストの十字架と復活の出来事は知っていました。しかし、そのとき「ああ、キリストは私の罪を負い十字架にかかり、私が生きるために復活したのだ」ということが分かったのです。

 先週、私は清水教会でメッセージをし、礼拝をささげました。お掃除の後、皆さんを送り出してから、静岡教会のバザーの準備を気にかけながら急いで車を走らせました。着いてみるとすでにバザーは始まっていて、近隣の方々でいっぱい、そして静岡教会の兄姉の輝く笑顔と活き活きとした動きに、安心と喜び、そして「乗り遅れた」というちょっぴりの寂しさを感じました。「私が焦ってあくせくしなくても主の導きにより、ちゃんとまわり進んでいる」こと、大牧者なる主を中心とし、主に仕える大人の教会の姿をみさせていただきました。

 2015・11・15
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