静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年07月20日 | 説教要約
「天におられる神を見つめる」 使徒行伝7章54~60節

 エルサレム教会に迫害が起こりました。教会の執事ステパノの説教と殉教の記事から、共に神の言をいただきましょう。

Ⅰ 天におられる神のメッセージ
 当時のユダヤ人、特にパリサイ人、サドカイ人、祭司長達は、神殿至上主義、約束の地カナン(パレスチナ)至上主義を持っていました。神殿や約束の地を大切にするならわかりますが、それらを強調し過ぎました。つまり、神は神殿でのみ御心を示し、パレスチナでのみ働かれる。
 しかし、ステパノは説教の中で、イスラエルの歴史(アブラハム、ヨセフ、モーセ)を通して、「メソポタミヤ、エジプト、シナイの荒野でも神は御心を示し、働かれた」と語りました。つまり、「神は神殿やパレスチナの地に閉ざされてしまうか方ではない。最初の神殿を造ったソロモン王でさえもそういっている」と言いったのです。
 また、律法についても、「破っているのは、ステパノではなく、訴えている者達である」と主張しました。これも歴史を通して、「訴える者達の先祖は、十戒をいただいたその時から、すでに偶像礼拝をし、バビロン捕囚に至るまで、律法を破り、神に立ち返るように立てられた預言者をも殺しました。さらに、訴える者よ、なんとあなたがたは、救い主までも十字架につけた」と付け加えました。

Ⅱ 天におられる神を見上げて
 それを聴いた訴える者たちは、ステパノの対して激怒したのです。ステパノはそん中で、天におられる父なる神と主イエスを見上げ、見つめ、平安でありました。
訴えた者達は、ステパノに石を投げ、殉教に至らしめました。石を投げられている間、ステパノはその者達をゆるし、神にもその人達をゆるしてくださるように、とりなしを祈ったのです。主イエスの十字架上の言葉をおぼえるのです。

 私達は、世界中どこにでもおられ、御旨と御業をあらわしてくださる神を見上げて、どんな状況の中でも、主にある平安をもって、ステパノのように輝いていきたいのです。

2008/7/20 説教者 杉本守
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1 コメント

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Unknown (T)
2008-08-09 21:47:11
このメッセージを読ませていただいて涙しました。ありがとうございます。
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