静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年12月09日 | 説教要約
「救い主が来た」 ヨハネによる福音書1章1~18節

 神は、自らを現す(啓示)方法として、自然、歴史を用いられます。これらによって人間は、神の存在をおぼえるわけですが、はっきりとした神を、また神の救いをそこに見出すことはできません。ですから、神は人間にはっきりと自らを現し、人間を救うために特別な啓示をなされたのであります。それが、聖書であり、神のひとり子をこの世に送るという救い主の御降誕です。

Ⅰ 言である主イエス
 ヨハネによる福音書の著者である主イエスの弟子ヨハネは、主イエスのことを「言」と記しています。それは、父なる神を主イエスが現していたからであります。この「言なる主イエス」は、永遠なる方であり、神であり、神と共におられる方であり、この宇宙を造られた方であります。そして、この方は、肉体をとってこの世に来てくださったのであります。

Ⅱ 言である主イエスの業
 言である主イエスは、世の光でもあります。主イエスは、罪と死という闇に支配されているこの世界に光となって来てくださったのです。そして、主イエスを救い主と信じるものを照らし、闇から光へ、神の子とさえしてくださるのです。

 どんなに闇が広がったとしても、この光なる救い主を信じ受け入れるときに、あなたは光(救い)を受けるのです。

 「やみはこれ(光)に勝たなかった」(ヨハネによる福音書1章5節)

 2007/12/9 説教者 杉本守
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