「神がおられる時」 詩篇48篇1~14節
シオンの山、それはエルサレムの街の中でも、都が建てられている小高い丘であり、神の臨在の場であります。現在では、それは神の臨在の場である教会、主イエスを信じる者が集められている場と私たちは霊的に受け止めています。
Ⅰ 動かされない神の都
諸国の王達は、このシオンの山に侵入する試みをいたしました(4~7)。しかし、彼らは退けられ、おじ窓って逃げたのでありました。当時、タルシシの船団は世界一の強固さを誇っていたともいわれていますが、彼らの東風によって海の藻屑となりました(8)。なぜ、シオンの山は難攻不落だったのでしょうか。エルサレムの周囲は深い谷で囲まれた天然の要害という地理的な条件をあげる者もいますが、何より、主なる神が臨在する所であったからでした(3)。神の臨在があったからこそ、シオンの山は守られ動かされなかったのです。
Ⅱ 神の臨在による不動
神の民の歴史をみますと、バビロンによって、ローマによってシオンの山は侵入され敗れ滅ぼされたことをみるのです。なぜ、敗れたのでしょうか。それは神の民が神を信じる信仰から離れ、神の臨在を失ったからでありました。信仰のない所に神は臨在されないのです。神の臨在があるか、ないかが重要なのです。
私たちの教会は神の臨在されている場となっているでしょうか。「主イエスを生ける神の子キリスト」と信じ告白し続ける時、主は教会を建て上げて、どんなに世界は動こうとも不動のものとしてくださるのです。主が臨在してくださる相応しい器とさらにされましょう。
2011/9/11 説教者 杉本守