「勝利を与える神」詩篇44篇1~8節
この詩篇は、国民的国家的存亡の危機の中で、神が過去の先祖達の危機に対してどのように扱われたかを、救いの歴史の信仰に基づいて振り、今ここで神の前に叫び求めているものです。
Ⅰ 危険の中での祈り
国民的国家的な存亡の危機とは、ヒゼキヤ時代のセナケリブの来襲(Ⅱ列王18章)ではないだろうかといわれています。まず詩人は、この危機の中で、真の神が神の民をどのように導いてきたかを、出エジプトから約束の地までの歴史を通して語り、ただただ真の神のみ業であると神を崇め、自らが信じる方もまさしくその神であることを表明します。しかし、そう信じ表明しつつも9節からは、主なる神は顔をそむけられたのではないか、眠ってしまったのではないかと述べています。それは、今の状況があまりにも危機的なものだったからです。
Ⅱ 危機の中での信仰
祈りはそれで終わってしまったのでしょうか。いいえ、17節にはなお厳しい中において真の神を見上げ、神の契約を掲げて神に寄り頼んでいます。26節にも手をあげてわれらをお助けください、贖ってくださいとあるのです。詩篇121篇3節「あなたを守る者はまどろむことがない」とあるように、真の神はどんな危機的の中にもみわざをなし、神の民を守るのです。
ですから、私たちも神の前に今、手をあげてみ言葉に立って祈りましょう。主なる神は必ず勝利を下さるのです(ヨハネ16章33節)
2011/7/10 説教者 杉本守