「義なる神のさばき」 詩篇58篇1~11節
神を無視し不法を行う者たちに、裁きと滅びを願い求める激しい内容の詩であります。神を信じる信仰者が、滅びを見て喜んだりやりすぎだと思われるのではないでしょうか?どうしてなのかを見て行きましょう。
Ⅰ 悪しき者の姿
「力ある者」とは、権威や権限を持った人々を指し、彼らはそれらを不正なことに使い、地に暴虐を満たしていたのです。ここでの非難は、そうした彼らに、個人的な問題にとどまらず、社会的な影響を与えていることに対するものです。毒コブラでさえ笛吹くものに従うのに、彼らは毒コブラよりもひどく、主なる神さえも恐れないのです。これが悪しき者の姿であり、どの時代にもいるのであります。
Ⅱ 神の義が貫かれるように
詩人は、神の義が貫かれ、神の裁きが彼らにあるように訴えています。消え去らせ(7)、衰えさせ(8)、吹き払ってください(9)とあるようにです。詩人が問題にしたのは、正義が曲げられていて、地上で不正が働き暴虐が蔓延していることでした。深い罪認識と罪に対する激しい憎しみと苛立ちなくしてわたしたちは、神の怒り、神の義、神の聖、神の救いはわかりません。詩人はそれがわかり、激しく神の介入を求めたのです。
わたしたちは、罪に対していい加減であってはいけません。罪に対しては厳しくあり、遠ざかり、主イエスに喜ばれる者となりましょう。
2012/6/24 説教者 杉本守