「恵みもますます満ちあふれた」(ローマ5:20)
聖書を読み、お祈りをし、礼拝をささげ、クリスチャンの歩みが深くされていけばいくほど、気がつかされることがあります。それは、「自分の罪深さであり、主の恵みの深さ」であります。この気付きはクリスチャンとして健全な姿であります。クリスチャンになる前は、神から離れ自己中心のままに歩み、思いおいて言葉において行為において罪を犯してきたにもかかわらず、自分が罪人であることさえもわかりませんでした。しかし、聖霊なる神によって罪を示され、神の独り子なるイエスが救い主であり、イエスの十字架と復活によって、罪赦され義とされることがわかり、信仰と悔い改めによってこの救い(罪が赦され義とされること)を体験させていただいたのです。そして聖書を読み、祈り、礼拝をささげるクリスチャンの歩みを続けていくうちにその体験がどんなに深いことなのか理解されていくのです。「ああ、なんとわたしは罪深いのか」「ああ、こんな罪深いわたしが赦されているなんて」「義とされ神の子とされ永遠のいのちをいただいているなんて、神のお恵み以外にないと」。へりくだる者となるのです。
2012/6/3