「罪を負う救い主」 マルコによる福音書15章16~41節
今週は、救い主イエスが十字架に掛けられる受難週であります。なぜ、なんの為に、誰の為に、救い主イエスは十字架に掛かられたのでしょうか?
Ⅰ 十字架による罪の解決
救い主イエスは、罪のない方でありました。しかし、十字架にかかられたのです。それは、私達人間の罪を負われ、神の裁きを受けられたからであります。
十字架にいたる道は受難でした。鞭打たれ、いばらの冠をかぶされ、嘲弄され、葦の棒で頭を叩かれ、つばきをかけられ、十字架を背負いゴルゴダヘのぼり、両手両足に釘を打たれ、十字架にかけられました。十字架上でも、人々のあざけりは続けられたのでした。サタンも最後まで十字架抜きのキリストを立てようと誘惑しました。
十字架から降りることが容易にできた主イエスですが、十字架から降りずに、最後まで私達人間の罪を背負い、神の裁きを一身に受けてくださったのです。
そして、罪を負ったがゆえに神に捨てられたのです。
この身代わりの十字架があるからこそ、私達人間の罪の解決があるのです。
Ⅱ 十字架による神との和解
最初の人アダム以来、人間は罪の中にあり、神から離れ、自己中心な歩みをし、神に反逆していました。しかし、救い主イエスの十字架により、神との和解の恵みと道が開かれたのです。主イエスが十字架で命をささげ死を迎えた時、神殿の幕が裂けたのでした。この幕は、聖なる神に人間が容易に近づくことができないことを意味していましたが、それが裂けたということは、どんな人間でもイエスの死、十字架によって神に近づくことができる。神の救いにあずかり、神と和解し、神との命の関係を回復することができるということであります。
「御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」(ローマ5章10節)
救い主イエスの十字架は、あなたを罪から救い、神と和解させてくださるのです。
2008.3.16 説教者 杉本守