「主の聖徒の死はそのみ前において尊い」 詩篇116篇1~19節
「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」(15)
神の救いを経験した者の感謝が詠われています。前半は、死に直面する苦しみから救われた感謝を、後半は、救って下さった神に従っていく思いを詠っています。
本日は、15節の御言葉を主に取り上げたいます。
Ⅰ 主の聖徒たちの死
「聖徒」と聞きますと、皆から尊敬を受けている方や信仰的功績を残した方と思ってしましますが、神を愛する者、神を愛される者こそ、主の聖徒であります。新共同訳では、「主の慈しみに生きる者」と訳されています。主の慈しみの中にあって、神に愛され、そして神を愛して日々生きているすべての人を意味します。その者達も、肉体の死が来ます。体は土に霊は神に帰るのです。
Ⅱ 主の聖徒たちの死が尊い理由
では、なぜその者たちの死は尊いのでしょうか。ここでは「そのみ前(主のみ前)」、「主の目に」(新改訳)はとあります。人の目には、功績を残せた者が尊いということでしょう。しかし、人の目は一時で一面しか見えません。しかし、神の目には、その人のすべてが見られています。主の聖徒の死は、主の目には、使命を果たし終えた姿として、永遠の神の国に凱旋する姿として映っているのです。だから尊いのです。私たちも主の目を通してみさせていただきたいのです。
私たちも主を愛し主に愛されている主の聖徒として、この地上での使命を全うし、神の国へ凱旋させていただきましょう。
2015・2・22 説教者 杉本守
「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」(15)
神の救いを経験した者の感謝が詠われています。前半は、死に直面する苦しみから救われた感謝を、後半は、救って下さった神に従っていく思いを詠っています。
本日は、15節の御言葉を主に取り上げたいます。
Ⅰ 主の聖徒たちの死
「聖徒」と聞きますと、皆から尊敬を受けている方や信仰的功績を残した方と思ってしましますが、神を愛する者、神を愛される者こそ、主の聖徒であります。新共同訳では、「主の慈しみに生きる者」と訳されています。主の慈しみの中にあって、神に愛され、そして神を愛して日々生きているすべての人を意味します。その者達も、肉体の死が来ます。体は土に霊は神に帰るのです。
Ⅱ 主の聖徒たちの死が尊い理由
では、なぜその者たちの死は尊いのでしょうか。ここでは「そのみ前(主のみ前)」、「主の目に」(新改訳)はとあります。人の目には、功績を残せた者が尊いということでしょう。しかし、人の目は一時で一面しか見えません。しかし、神の目には、その人のすべてが見られています。主の聖徒の死は、主の目には、使命を果たし終えた姿として、永遠の神の国に凱旋する姿として映っているのです。だから尊いのです。私たちも主の目を通してみさせていただきたいのです。
私たちも主を愛し主に愛されている主の聖徒として、この地上での使命を全うし、神の国へ凱旋させていただきましょう。
2015・2・22 説教者 杉本守