「喜び溢れるクリスチャン」
「あなたはニワトリですか?ワシですか?」と自問してみました。私はクリスチャン(キリストに属する者)として、どっちだろうか・・・・。ニワトリとは、立派な羽があるのに、たまにパタパタとするだけで、飛ぶまでにいたらず、時には甲高い声をあげ、地面を見てはついばむ。ワシとは、立派な翼を羽ばたかせ、風に乗り、自由に大空をかけめぐる。
すべてのクリスチャンは、与えられた信仰の翼を広げ、聖霊の風を受けて、喜びの大空を自由に羽ばたくワシクリスチャンとされているはずであります。それは、罪赦され義とされ、神の子とされ、神との豊かな交わりを回復し、永遠の命をいただいているからです。これ以上の喜びの源はありません。しかし、私達は自分がワシクリスチャンであることを忘れ、ニワトリのように信仰の翼を休め、時々思い出したようにパタパタと、そしてまた、地上の世の細かいことに目を奪われてついばむ、ニワトリクリスチャンになっているのではないでしょうか。
もう一度、救われている喜びに溢れ、ワシクリスチャンである自覚と恵みに生きていこうではありませんか。
「わしのように翼をはって、のぼることができる」(イザヤ40:31)
2009/2/8
「あなたはニワトリですか?ワシですか?」と自問してみました。私はクリスチャン(キリストに属する者)として、どっちだろうか・・・・。ニワトリとは、立派な羽があるのに、たまにパタパタとするだけで、飛ぶまでにいたらず、時には甲高い声をあげ、地面を見てはついばむ。ワシとは、立派な翼を羽ばたかせ、風に乗り、自由に大空をかけめぐる。
すべてのクリスチャンは、与えられた信仰の翼を広げ、聖霊の風を受けて、喜びの大空を自由に羽ばたくワシクリスチャンとされているはずであります。それは、罪赦され義とされ、神の子とされ、神との豊かな交わりを回復し、永遠の命をいただいているからです。これ以上の喜びの源はありません。しかし、私達は自分がワシクリスチャンであることを忘れ、ニワトリのように信仰の翼を休め、時々思い出したようにパタパタと、そしてまた、地上の世の細かいことに目を奪われてついばむ、ニワトリクリスチャンになっているのではないでしょうか。
もう一度、救われている喜びに溢れ、ワシクリスチャンである自覚と恵みに生きていこうではありませんか。
「わしのように翼をはって、のぼることができる」(イザヤ40:31)
2009/2/8