「失敗を赦す主イエス」 マタイによる福音書26:31~35、69~75
4月、受難節に入り、主の受難をおぼえ、主の復活に向けて、マタイによる福音書から4回メッセージをいたします。本日は、ペテロの裏切りに対して、主イエスの赦しをみていきましょう。
Ⅰ 人間の力の限界
最後の晩餐の後、主イエスは自らが十字架にかけられること、そして復活をすることを弟子達に語り、彼らがわたしにつまずくと言います。それを聞いたペテロは、「主イエスに対して決してつまずかないこと、たとえ主イエスと一緒に死なねばならなくても、主イエスを知らないなんて言わないこと」を公言いたします。他の弟子達もそうでした。彼らは彼らの人間的な思いを精一杯そこにあらわしました。しかし、彼らは人間がいかに弱く罪深いものであることをまざまざと知らされます。主イエスは、「ペテロが鶏が鳴く前にわたしのことを三度知らない」と言うといわれた通りに、ペテロは主イエスを裏切って三度も知らないと言ってしまったのです。他の弟子達も逃げて行きました。どんなに力んでも、人間は弱く罪深い者であることを自覚いたします。
Ⅱ 祈り赦し立ち上がらせてくださる主イエス
そんなペテロに対し、主イエスは、彼が裏切る前から彼の信仰がなくならないように祈り、悔い改めて神の愛の中で立ち上がるようにとりなします。「知らない」といわれることは存在を認められないということです。一番辛いことでしょう。しかし、主イエスはそんな苦しみの中にあっても彼を愛し続け、彼の失敗の向こうに、彼の回復と神の祝福を見ていたのでありました。そして復活された主イエスは彼を赦し立ち上がらせ、主の御業をするために祝福され用いられたのであります。
裏切ったペテロの姿は、まさしくわたしたちの姿です。ペテロに対しての主イエスの愛は、私たち一人一人に向けられている愛です。「わたしはあなたがたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)