「神を信じる者は動かされない」 詩篇16篇1~11節
この詩人は、神の臨在の恵みに生きた者であります。
Ⅰ 神の臨在を信じる聖徒
この詩人は、ダビデであろうと言われていますが、彼は神に対する信仰告白をしています。「あなたはわたしの主」「あなたのほかに幸いはない」とです。そして、偶像の神を拝む愚かさを語り、自らは真の神を自分の前に置いたと告白しています。
「置いた」は完了形で、決断的な自覚によるものであります。以前はダビデの前にあったのは欲望でしたが、今はそうではない、主なる神がおられるのです。主の臨在こそが、人間の魂の最深の要求を満たすことができるのです。
Ⅱ 動かされない聖徒
人生には揺るされる出来事が起こりますが、主を自らの前に置く者は、決して動かれることはないのです。ダビデもそうでありましたし、パウロも法廷で福音を伝えた時、一人でありましたが、主が右におられたので平安でありました。「右」とは、当時の弁護者の立つ位置であり、競技における勝利者の位置であります。主が、パウロの弁護人であり、勝利者として立たれていたのです。
あなたは何を、誰を自らの前に置いているのでしょうか?臨在の主を置くのです。
2010/1/24 説教者 杉本守
この詩人は、神の臨在の恵みに生きた者であります。
Ⅰ 神の臨在を信じる聖徒
この詩人は、ダビデであろうと言われていますが、彼は神に対する信仰告白をしています。「あなたはわたしの主」「あなたのほかに幸いはない」とです。そして、偶像の神を拝む愚かさを語り、自らは真の神を自分の前に置いたと告白しています。
「置いた」は完了形で、決断的な自覚によるものであります。以前はダビデの前にあったのは欲望でしたが、今はそうではない、主なる神がおられるのです。主の臨在こそが、人間の魂の最深の要求を満たすことができるのです。
Ⅱ 動かされない聖徒
人生には揺るされる出来事が起こりますが、主を自らの前に置く者は、決して動かれることはないのです。ダビデもそうでありましたし、パウロも法廷で福音を伝えた時、一人でありましたが、主が右におられたので平安でありました。「右」とは、当時の弁護者の立つ位置であり、競技における勝利者の位置であります。主が、パウロの弁護人であり、勝利者として立たれていたのです。
あなたは何を、誰を自らの前に置いているのでしょうか?臨在の主を置くのです。
2010/1/24 説教者 杉本守