静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2015年05月24日 | 説教要約
「教会のかしらであるキリスト」エペソ1章15~23節

「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」(23)

 本日は、ペンテコステの礼拝です。聖霊なる神が降り、教会がスタートした日です。

Ⅰ 教会とは
 教会とは、「神によって召しだされた者の集まり(共同体)」であるということができます。また、教会は、「見えない教会」であり「見える教会」であるというふうにもいわれます。「見えない教会」とは、使徒信条でも告白している「普遍的な公同の教会」です。「普遍的」とは、地理的・歴史的制約をこえた広がりをもつことを示しています。時代や国をこえ、教団教派をこえ、制度や組織をこえ永遠の共同体であります。イエスを救い主と信じて救われた者たちすべてが属しているものであります。「見える教会」とは、地上の地域教会であり、制度や組織があるものであります。私たちは日本ホーリネス教団静岡教会に導かれ属しています。

Ⅱ 教会の主
 この教会の主は誰でしょうか。父なる神は、御子キリストに、この世においても来るべき世においても、永遠にすべての支配、権威、権力、権勢を与えられました。このすべてのもの主権者なるキリストが教会のかしらであります。ですから、この世のどんな勢力をも恐れる必要はありません。迫害の歴史の中にあっても、教会は活力を失わずかえって力を増し拡大しています。まさしく教会は、あらゆるものをすべてによって満たすことができるキリストが聖霊によって満ち満ちている共同体なのであります。

 ですから、聖霊に満たされて教会を建てあげていきましょう。

 2015.5.24 説教者 杉本守
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天のマナ

2015年05月24日 | 天のマナ
「分かち合う喜び」
 「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」(マタイ6:30)
 「神は、人間を尊い存在として造り生かし満たして下さっているというが、世界の中では食料が足りず栄養不足で生きていけない人たちがいるのはどうしたことか」と高校生の頃考えたものでした。以前までは、「神様、食物は足りないのではないでしょうか」と考えていましたが、そうではないとわかりました。「足りないのは食物ではなく、人間の愛であった」とわかったのです。神様は60億を超える人間を養う食物を育てさせ収穫させ、またそれらを貯蔵・保存・輸送する知恵を与えています。しかし、人間の自己中心、欲は人間の愛に勝り、分け合うこと分かち合うことを留めさせ、食料を無駄にし贅沢までして大量に廃棄しているのです。世界に食べられない人がいる原因は、神にではなく人間にあり、人間の自己中心、欲です。
 主の愛により、自分たちにできることをさせていただき、霊肉共に分かち合う喜びを体験して行きましょう。

2015/5/24
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講壇の花

2015年05月24日 | 生花
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