静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年12月21日 | 説教要約
「救い主を心に迎える」 ルカによる福音書2章1~7節

 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(新改訳:ピリピ人への手紙2章6~8節)

Ⅰ 救い主を迎えることができない忙しさ

「客間には彼らのいる余地がなかった」とあります。余地がないほど他の客でいっぱいだったのです。私たちの心はどうでしょうか? 現代人は忙しい。情報が氾濫していて、真理が埋もれてしまっているのです。そして、表面的な目に見える現象の多忙さで自らをごまかしてしまって、確かなものを逃しています。昔も今も同じであります。

Ⅱ 救い主を迎える心

 真理、確かなものとは。それは救い主イエスであります。どんなに時が過ぎようとも状況が変わろうとも、変わらない唯一の方です。その方が、この朝、今あなたの心の戸を叩いています。馬小屋のような心であっても入ってきてくださるのです。

 心の戸をあけて、救い主イエスに入っていただきましょう。

2015.12.21 説教 杉本守
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天のマナ

2014年12月21日 | 天のマナ
「クリスマスのマナー」 
「すべての人をを照らすまことの光があって、世に来た」(ヨハネ1:9)

 特に日本では、人の家に入る時に、誰もが靴を脱いで入るでしょう。もし自分の靴が泥だらけなら、外で泥を落として玄関で靴を脱ぎます。それが家に入る時の当然のマナーです。もし泥のついた靴で家に上がったならば、注意されマナーを教えられるでしょう。

 クリスマスのマナーはなんでしょうか。それはクリスマスの意味を知ることであります。先週のエンジョイクリスマスのチラシを受け取った子供が、「ぼくは、サッカーチームでクリスマス会をするから行けない」と言いました。今では世界中でクリスマスが祝われていますが、意味を知っている人は本当に少なく残念です。クリスマスの意味を伝えて行きましょう。

2014/12/21
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