「救い主を心に迎える」 ルカによる福音書2章1~7節
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(新改訳:ピリピ人への手紙2章6~8節)
Ⅰ 救い主を迎えることができない忙しさ
「客間には彼らのいる余地がなかった」とあります。余地がないほど他の客でいっぱいだったのです。私たちの心はどうでしょうか? 現代人は忙しい。情報が氾濫していて、真理が埋もれてしまっているのです。そして、表面的な目に見える現象の多忙さで自らをごまかしてしまって、確かなものを逃しています。昔も今も同じであります。
Ⅱ 救い主を迎える心
真理、確かなものとは。それは救い主イエスであります。どんなに時が過ぎようとも状況が変わろうとも、変わらない唯一の方です。その方が、この朝、今あなたの心の戸を叩いています。馬小屋のような心であっても入ってきてくださるのです。
心の戸をあけて、救い主イエスに入っていただきましょう。
2015.12.21 説教 杉本守
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(新改訳:ピリピ人への手紙2章6~8節)
Ⅰ 救い主を迎えることができない忙しさ
「客間には彼らのいる余地がなかった」とあります。余地がないほど他の客でいっぱいだったのです。私たちの心はどうでしょうか? 現代人は忙しい。情報が氾濫していて、真理が埋もれてしまっているのです。そして、表面的な目に見える現象の多忙さで自らをごまかしてしまって、確かなものを逃しています。昔も今も同じであります。
Ⅱ 救い主を迎える心
真理、確かなものとは。それは救い主イエスであります。どんなに時が過ぎようとも状況が変わろうとも、変わらない唯一の方です。その方が、この朝、今あなたの心の戸を叩いています。馬小屋のような心であっても入ってきてくださるのです。
心の戸をあけて、救い主イエスに入っていただきましょう。
2015.12.21 説教 杉本守