静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年12月07日 | 説教要約
「神に恵まされた者」 ルカによる福音書1章26~38節

「御使がマリヤのところにきて言った、『恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。』」(28)


Ⅰ 神の偉大なわざ
  神がなされるわざはいつも偉大で人間の想像を遥かに越えるものであります。神が救い主をこの世界に送られる時もそれはユニークでありました。両親のもと、父と母の人間的な営みではなく、聖霊なる神が、処女マリヤの胎に子なる神救い主イエスを宿らせるというものでありました。全くもってユニークであり、神のみわざ以外にありません。神の使いの告知は、処女マリヤが身ごもって男の子を産むこと、イエス(主は救い)と名づけよ、その子は救い主であるというものでした。しかし、マリヤは非常に驚き戸惑い恐れます。どうして処女である自分が男の子を身ごもれるのか、名前もイエスをと名づけること、その子が神の子であり救い主であるということ、受け入れがたいものでした。世界中の誰よりも、マリヤ本人が受け入れることができない内容であったからです。

Ⅱ 信じ従う者
 けれども、マリヤはその数十秒後には、このことを信じ受け入れる告白をしています。どうしてでしょうか?この出来事の出所は神であることを知り、その神がなされていること、マリヤが信じていた神は全能の神であるからでありました。聖霊なる神により特別な方法をもって、神は救い主を送りなさったことを受け留めたのでありました。マリヤは、「神にはなんでもできないことがない」との神の言葉に立ったのでした。わたしは、「主のはしため(僕)です。お言葉通りこの身になりますように」との言葉に、彼女の信仰があふれ出ています。確信と平安に満たされた彼女は、救い主を送ってくだった神をほめたたえ、救い主の母とされたことを喜んで賛美をささげました。

 マリヤのように信仰をいただき、主の救いをさらに受けていきたいのです。

2014.12.7 説教者 杉本守
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2014年12月07日 | 教会案内
「人間を罪と死から救うキリスト」                       

 「宗教」と「道徳」の違いはなんでしょうか。道徳は、良心にそくした善いことを教えるということでしょう。宗教は、人の悩みや苦しみの源である罪や死からの救いと解放でありましょう。ほとんどの新興宗教は、現世的ご利益主義(商売繁盛、家内安全、五穀豊穣、万病平癒、学業成就など)で、人間の問題を本当の意味で解決しません。人間を本当に救わない宗教は、そういう意味では、本当の宗教ではありません。

 神の独り子であるイエス・キリストは、なぜこの世界に来たのでしょうか。それは、人間の罪を赦し、人間を死から解放するためであります。救い主イエスは、十字架に掛かり私たちの罪を負われ身代わりとなられました。救い主イエスは死なれましたが、三日目に死を打ち破り復活されました。彼は今も生きていて、彼を信じる者の罪を赦し、復活させ永遠の神の国に入れてくださるのです。

 「主は、わたしたちの罪過のために死に渡されたが、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」(ローマ4:25)

2014.12.7
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