静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年08月10日 | 天のマナ
 「主の祈り」を祈る者                               
 『第二代の国連事務総長を務めた、ダグ・ハマーショルドという人がいました。スウェーデン出身の熱心なクリスチャンで、1953年から国連事務総長を務めていましたが、1961年に、中央アフリカのコンゴ動乱における和平ミッションに出向く途中で、飛行機事故によって殉職しました。この人が、主の祈りの前半をもとにしてこのように祈っていた、ということが伝えられています。
 「御名が崇められますように、私の名ではなく。御国が来ますように、私の国ではなく。御心が行われますように、私の心ではなく」。主の祈りに彼がつけ加えた、「私の名ではなく、私の国ではなく、私の心ではなく」という言葉は、それぞれの祈りの意味をより明確にしています。「私の名ではなくあなたの御名こそが崇められますように。私の国、私の支配ではなく、あなたの国、あなたのご支配こそが成りますように。私の心、私の意志ではなくあなたの御心、ご意志こそが実現しますように」、それがこの三つの祈りの心です。そしてそれは今申しました、主の祈りの構造ともつながります。先ず、神様の御名、御国、御心を真っ先に求め、それから私たちのことを祈り求めていく、「主の祈り」を祈る者はそういう信仰に生きるのです。』 
(藤掛順一牧師説教より)

2014・8・10
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主日礼拝説教要約

2014年08月10日 | 説教要約
「われらは主なる神のものである」 詩篇100篇1~5節

 「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」(詩篇100篇3節)

 この詩篇は礼拝への招詞として、今では礼拝式の最初に毎回読まれているものであります。主が礼拝に招いてくださっていることはなんと幸いでしょうか。この詩篇は、捕囚解放後に書かれたものと言われています。

Ⅰ 主の恵みによる礼拝への招き
 主なる神は、私たちを礼拝に招いておられますが、どのような思いをもって礼拝に来なさいと言っているのでしょうか。それは、喜ばしく声をあげ、歌いつつ来なさいということです。私たちは今朝、台風の中、どのような気持ちで主の前に来たでしょうか?神の民は、出エジプトの恵み、出バビロンの大いなる恵みを振り返りながら、礼拝をささげました。

Ⅱ 主の恵みによる礼拝での恵み
 われらは主のもので、われらは主の民、その牧の羊であります。こんな私たちを主は、自らの所有としてくださり、主は責任をもって養っていて下さるのです。霊的恵みはもちろん、私たちが信仰者として歩んでいく生涯のすべての必要を満たして下さっているのです。

 私たちは毎週礼拝に招かれています。自らの救いを感謝しながら、主の恵みの奥へ入れていただきましょう。

2014/8/10 説教者 杉本守
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講壇の花

2014年08月10日 | 生花
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