静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年08月03日 | 天のマナ
「十字架による帳消し」
 神はどこまでも義なる方であり、罪を嫌い、罪に対しては激しい怒りをもち、徹底的に神の義による審判をなされる方であります。旧約聖書において神は、ソドムとゴモラの人々の罪に対し、天からの炎をくだらせ町ごと焼き尽しました。またカナンの地に住んでいた者たちを彼らの罪のゆえに、神は聖絶(子供や家畜さえも滅ぼす)なさいました。それほど罪は汚れ恐ろしいものであり残しておいてはいけないのであります。聖書は人間の罪を、人間の借金としてたとえます。明日どうして生きていってよいかわからないほどの莫大な借金、命を脅かすほどの借金をかかえたことはないかと思います。しかし、人である私たちはすべて、罪において神の義による圧倒的な審判を受け永遠の滅びしかない借金状態であります。有無も言うことができない状態です。そして神の義による裁きは発動されました。しかし、私たちは滅びていません。それどころか罪赦され義とせられ、神の子とせられ、永遠のいのちを受けています。それはどうしてでしょう。それは、私たちの罪を身代わりに負われ、十字架で神の義による圧倒的な裁きを受けてくださった方がいるからです。そうイエスを信じる者は罪の借金が帳消しにされたのです。

2014/8/3
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主日礼拝説教要約

2014年08月03日 | 説教要約
「どんな状況にも勝利する信仰」使徒行伝16章19~34節
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。」(25説)

 この箇所は、第二伝道旅行のピリピの町での出来事です。

Ⅰ 信仰の歩みにおける困難
 祈りの場に行く途中でパウロとシラスは、占いの霊につかれた女奴隷から占いの霊を追い出し、彼女を解放し正気に戻してあげました。しかし、この故に彼らは鞭打たれ足かせを付けられて牢獄へ入れられてしまいます。神のみ心に従いマケドニヤにきて、宣教のわざをしている二人ですが、なんとその故に迫害に遭うのです。信仰の歩みは平坦ではありません。戦いがあるのです。

Ⅱ 困難の中で輝く真の信仰
 鞭での傷の痛みは激しく、足かせによる締め付け、暗く不衛生な牢獄、周りの囚人たちの言葉、御心に従ってきたのになぜとの戸惑いによって、彼らの信仰は輝きを失い、状況に支配されてしまったでしょうか。いいえ、彼らはその獄中で神に祈り賛美を歌い続けていたのでした。彼らの信仰はますます輝き、その状況を支配し、獄吏をはじめ囚人に福音を伝えていたのでした。
 その信仰に応えるように、神は大いなるわざをなされます。大地震と獄吏と獄吏の家族の救いであります。

 仕事場でも家族でも一人クリスチャンの方もいらっしゃるでしょう。状況は厳しいかもしれません。しかし、私たちはこの二人がもっていた同じ信仰を持たせていただいています。主によってその信仰を輝かせていただきましょう。主は大いなることをなされます。

2014/8/3 説教者 杉本守
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2014年08月03日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする