「神無しの人生から、神有りの人生へ」 詩篇90篇1~17節
「主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。」(1~2節) 受難週を迎え、本日はしゅろの主日であります。主イエスが、十字架にかかるために、子ロバに乗ってエルサレムに入城しました。主の受苦をおぼえながら、御言葉に聴き入りましょう。
この詩篇は、モーセの作であり、神無しの人生のはかなさと神有りの人生の満たしを詩っています。
Ⅰ 神とは
神とは、永遠から永遠におられる方で、神によって世界が造られる前から、神でおられる方であります(2)。そしてこの神は地と世界を造られ、最後に人間を造られ生かしており、人がその使命を終えたならば、天に召す方であり、神の手の中に人はあるのであります(3)。
Ⅱ 人とは
人は有限な者であり、ひと夜の夢のごとく流れていき、朝には栄えたと思っても夕には枯れる弱い存在であります(5~6)。人の年は、70~80年で、その歩みも骨折りと悩みであります(10)。さらに人は、罪深く、神の光の前では滅び去る存在でしかありません(7~8)
Ⅲ 救いとは
そういう人間が、自分の日を数えること(自分のはかなさと罪深さを認め)によって、知恵の心を得るのです。「知恵の心」とは、「主を恐れるとは知恵のはじめ」(詩篇111:10)とあるように、主を主と認め畏敬し、主にに立ち帰ることです。知的に主を知るだけではなく、主と霊的につながることであります。罪あ人の側からは神につながることはできません。神の側から手を差し伸べていただく、つまり十字架の贖いがあって、人は神に立ち帰ることができるのです。
神無しの人生には希望がありませんが、神有りの人生は、神のあわれみといつくしみとがあふれていて、豊かな希望があるのです。