「赦すこと」
ナルニア物語を書いた神学者C・Sルイスは、次のように「赦す」ということを語っています。「赦しとは、公平さに関する人間の常識を超えたもので、まったく容認できないものを容認することだ」。私も彼の言葉に同感です。理不尽なことを言われたりされたりする、「どうして」という被害にあうとき、それらは公平さに関して人間の常識を超えたものであり、容認できないことであります。しかし、「赦し」とは、驚くことにそれを容認してしまうのです。彼は、「クリスチャンとは、赦し難い人々を赦すことである。神があなたの中にある赦し難いものを赦してくださったからである」と続けました。
隣人をまた自分を赦すことができる人は、神によって赦されていることを本当に体験した人であります。主イエス・キリストの十字架での犠牲により、どんなに主なる神は私たちを赦し受け入れてくださっているのでしょうか。「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」(Ⅰヨハネ3:1)
2014/2/2