静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年11月13日 | 説教要約

「わたしは神の家にある」 詩篇52篇1~9節

 サウル王に命を狙われたダビデが、アヒメレクの家に来たことを、ドエグがサウル王に告げた時にダビデが詠んだ詩から、今日の主の恵みをいただきましょう。

Ⅰ 報復の家に住まない

 ドエグは、神から授かったその才能や賜物を、神とその正義のために用いず、自らの欲と富に使ったのでした。それは、彼が神を避けどころとせず富により頼む者だったからでした。彼は神ぬきにやっていけると思い、むくむくとわいてくる悪への誘いに乗ったのです。そうした彼を神は砕かれるのです。ダビデは、彼の行いに対して自ら報復をせずに神にゆだねたのでした。

Ⅱ 神の家に住む

 ダビデはドエグの行いを見て、今一度自分の歩み方を確認しました。それは神の家に住むことでした。神に逆らうのではなく、神に従うこそ祝福の中に身を置くことであるのです。そのゆえに、命を狙われているとは思えないほどダビデのうちには神の平安がありました。ダビデは、神に感謝し神に賛美をささげています。

 今私たちは誰を見ているでしょうか?人々を見て恐れているでしょうか?それとも主なる神を見て平安でいるでしょうか。私たちは誰により頼んでいるでしょうか。この世のものではなく、主なる神により頼み、常に神の家にある者でありましょう。

2011・11・13 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2011年11月13日 | 天のマナ

 「ただ主の栄光をあらわす者として」 

 

1924年、パリでオリンピックが開催された。百m予選は日曜日と決まった。英国のエリック・リデルには優勝が期待されていた。ところが彼は、「日曜日には主を礼拝するために出場できない」と欠場を申し出た。英国では騒然となった。新聞は、「私は神さまのために走る」というリデルの立場を伝えたが、こう書きたてた。「リデルは狂信家か?」英国皇太子までもリデルの説得にあたるほどの大事件となったが、「王の王、主の主」に対する彼の忠実さはゆるぎもしなかった。


 神は人びとに知恵をあたえてくださった。友人の好意によって、他の日の四百mに交替して出場できるようになった。リデルは走り慣れないクラスで主の栄光のために走った。そこで彼はだれもが予想しなかった優勝を獲得したのだ。それも世界新記録で。翌年、リデルはスポーツマンとしての栄光を捨て去って、中国へ宣教師として出ていった。天津で八年間働いたが日本軍に逮捕され、1945年四三歳で捕虜収容所で天に召された。映画『炎のランナー』は、主に忠実だったかの青年を世界にあかししている。

 

2011・11・13

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講壇の花

2011年11月13日 | 生花
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