静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年11月06日 | 説教要約

「主イエスの愛の配慮」 マタイによる福音書17:24~27節

宮の納入金について、主イエスが語られた記事から、主の恵みをいただきましょう。

Ⅰ 神のひとり子なる主イエス

 当時、20歳以上の男性は毎年一人半シュケル、神殿に税を納めていました。これは、出エジプト記30章11~16節が出所であります。集められたものは、神殿維持のために使われました。

 主イエスは、神のひとり子であり、王の家族が王に税や貢を納めないように、神殿は神の家であるので、神の子である主イエスは税を納める必要はないのであります。

Ⅱ 主イエスの配慮

 しかし、主イエスは、納めることをいたしました。それは、「神のひとり子であり救い主である主イエスを、まだそうと認めることができない者たち」に愛の配慮をなされたのであります。このことで彼らが躓かないためです。人の救いのためには、自らの当然の権利を行使しなかったのです。

 パウロは、偶像に供えられた肉の問題で、肉を食べてもかまわないが、それが弱い兄弟を躓かせるなら、その権利や自由も、隣人への配慮の中で制限し、すべて神の栄光のためにすると言いました(第一コリント8章)。

 何よりも、主イエスが私たちを救うために、神の位を置きこの世に来てくださり、十字架まで掛かってくださったことをおぼえます。すべてのことに神の栄光をあらわす者となりたいのです。

2011/11/6 説教者 杉本守

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2011年11月06日 | 天のマナ

「さらに一歩」「こころの貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである。」(マタイ5:3

 

 分析心理学の創始者C・Gユングが、あるクリスチャン女性に送った手紙の内容です。

「あなたがたクリスチャンは、非常に美しいものがあります。あなたがたは飢えている人、渇いている人を見るとき、そこにイエス・キリストを見ています。路上の裸の人に衣服を着せるときも、その人にキリストを見ています。牢獄の囚人を訪ねたり、入院中の病人を見舞うときも、キリストを見ているのでしょう。見知らぬ人を喜んで歓迎するときも、やはりキリストを歓迎しているのです。しかし、私が理解に苦しむのは、あなたがたが、自分の内にある貧しさを見ようとしないことです。あなたがた自身の心の破れの中に、イエスがおられることを見ないことです。なぜ外側にばかりイエスを見、自分の内側に見ようとしないのですか。あなたの中の弱さや破れ、そのすべてにイエスがおられるのに、どうして見えないのでしょうか。」

 マザーテレサが、毎朝、修道女たちとお祈りしてから、人々に仕えていた姿を何度もテレビで見ました。まず、自らの心の貧しさを知り、イエスをそこに見出し、イエスに満たされて遣わされる者でありたいのです。

2011・11・6

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2011年11月06日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする