「狭い門から入れ」 マタイによる福音書7章13~14節
受難週を迎えます。主イエスの受難をおぼえながら、この箇所より主の恵みをいただきましょう。
Ⅰ 狭い門とは
主イエスは、狭い門と広い門を対比して語っています。狭い門は命にいたる門で、道は細く、それを見いだす者が少ない。広い門は滅びにいたる門で、道は広く、入っていく者が多い。
広い門から入る者、神から離れた人間は霊的に死んでいること、そしてそのままでは永遠の滅びと語ります。しかし、狭い門、命にいたる門から入る者は、神によって霊的命が満たされるれ、永遠の命にいかされるのです。
Ⅱ 狭い門から入る
主イエスが十字架でなされた救いは、全ての人のためのであるのに、なぜ狭い門なのでしょうか。それは、へりくだらないと入れないからであります。人間は自分が納得しないととか、こうであるならばとか、いろいろと条件をつけてしまいます。そのままの姿では命にいたる門は入れないのです。神の前に自らの罪を認めて悔い改め、イエスの十字架こそ、わたしの罪の身代わりであり、イエスこそわたしの救い主と信じるへりくだりが必要なのです。
主イエスは人を救うために十字架を歩まれました。わたしたちもその後をへりくだって進み、神の命にいかされていきましょう。
2010/3/28 説教者 杉本守
受難週を迎えます。主イエスの受難をおぼえながら、この箇所より主の恵みをいただきましょう。
Ⅰ 狭い門とは
主イエスは、狭い門と広い門を対比して語っています。狭い門は命にいたる門で、道は細く、それを見いだす者が少ない。広い門は滅びにいたる門で、道は広く、入っていく者が多い。
広い門から入る者、神から離れた人間は霊的に死んでいること、そしてそのままでは永遠の滅びと語ります。しかし、狭い門、命にいたる門から入る者は、神によって霊的命が満たされるれ、永遠の命にいかされるのです。
Ⅱ 狭い門から入る
主イエスが十字架でなされた救いは、全ての人のためのであるのに、なぜ狭い門なのでしょうか。それは、へりくだらないと入れないからであります。人間は自分が納得しないととか、こうであるならばとか、いろいろと条件をつけてしまいます。そのままの姿では命にいたる門は入れないのです。神の前に自らの罪を認めて悔い改め、イエスの十字架こそ、わたしの罪の身代わりであり、イエスこそわたしの救い主と信じるへりくだりが必要なのです。
主イエスは人を救うために十字架を歩まれました。わたしたちもその後をへりくだって進み、神の命にいかされていきましょう。
2010/3/28 説教者 杉本守