静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年03月28日 | 説教要約
「狭い門から入れ」 マタイによる福音書7章13~14節

 受難週を迎えます。主イエスの受難をおぼえながら、この箇所より主の恵みをいただきましょう。

Ⅰ 狭い門とは
 主イエスは、狭い門と広い門を対比して語っています。狭い門は命にいたる門で、道は細く、それを見いだす者が少ない。広い門は滅びにいたる門で、道は広く、入っていく者が多い。
 広い門から入る者、神から離れた人間は霊的に死んでいること、そしてそのままでは永遠の滅びと語ります。しかし、狭い門、命にいたる門から入る者は、神によって霊的命が満たされるれ、永遠の命にいかされるのです。

Ⅱ 狭い門から入る
 主イエスが十字架でなされた救いは、全ての人のためのであるのに、なぜ狭い門なのでしょうか。それは、へりくだらないと入れないからであります。人間は自分が納得しないととか、こうであるならばとか、いろいろと条件をつけてしまいます。そのままの姿では命にいたる門は入れないのです。神の前に自らの罪を認めて悔い改め、イエスの十字架こそ、わたしの罪の身代わりであり、イエスこそわたしの救い主と信じるへりくだりが必要なのです。

 主イエスは人を救うために十字架を歩まれました。わたしたちもその後をへりくだって進み、神の命にいかされていきましょう。

2010/3/28 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年03月28日 | 天のマナ
「十字架から復活へ」 

 本日は、イエス・キリストのエルサレム入城の日で、群衆がしゅろの枝を振ったり、道に敷いたりして迎えたことから「しゅろの聖日」といいます。そして、この日から復活日の前日の土曜日までの1週間が受難週で、聖週とも呼ばれます。この週は、特にイエス・キリストの受難を瞑想します。受難前日の木曜日はイエスが弟子の足を洗われた日で、実際に互いに足を洗い合う習慣のある教会もあり、赦免と謙遜がすすめられます。それに引き続いて聖餐式が行われます。

 受難節の6聖日ごとに7本のロウソクを1本ずつ消して、受難日には真っ暗にしたり、十字架を会堂に置いたりして主の死を覚える教会、また受難週を通じて特別祈会を開く教会もあります。個人生活においては、生活の中に敬虔さが深まるようにと、断食を守る人もいます。イエスの墓と3本の十字架の絵や飾りを置く家庭もあります。音楽好きな人は、マタイの福音書の受難記事を読みながら、バッハのマタイ受難曲を聞くということです。受難のキリストへの信仰が、人によって具体的な生活となって現れて来るのでしょう。

 受難週の過ごし方は、それを規則で定めて、外的な行為を整えるものではありません。自分自身が主の前に立ち、その受難と死を瞑想し、自分の罪を悔い改め、イエス・キリストの贖いを覚え感謝するためにあるのです。 こうした暗く重い受難節は、終点ではなく、勝利と歓喜の復活に到達する通過期間です。この受難節の過ごし方次第で、復活の意味の深さと喜びの大きさの認知に深みと幅ができてくるのでしょう。

        (湘南セントラル・チャーチ トピックより抜粋させていただきました)
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講壇の花

2010年03月28日 | 生花
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