静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2010年03月21日 | 天のマナ
 「主の受難を前に黙想する」

「カウンセラーのヘレン・ルークは、こう忠告する。わたしたちが、静まる時を持たないなら、成長の可能性は消え失せ、退歩することになる。これはパラドックス(逆説)であり、静かに立ち止まるときに、わたしたちは、もっとも深く進歩することが出来るのだ。」(スー・モンク・キッド『心が待つとき』34ページ)

 待つとは、わたしにとって、静まって瞑想することだと気づかされた。静まるとき、自分の内に聖霊の臨在を感じ、全能なるお方が取り囲んでいてくださることに、気づかされる。神が、待つことへとわたしを導かれるとき、それは、「静まって、わたしが神であることを知れ」という御言葉を、リアルに味わうようにと、神が父としてわたしを招いておられるのだ。静まるとき、わたしたちの感覚は命へと呼び覚まされる。静けさの中で、わたしの魂は、静かな流れがささやく声に耳を傾ける。その声は、燃える生き方へと、わたしを導く。

(「ジャスト・エッジング」より抜粋させていただきました)
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主日説教要約

2010年03月21日 | 説教要約
「神に喜ばれる者」 詩篇19篇1~14篇

 啓示とは、神が自らを人に示し現すことであります。この詩篇は、神の啓示が三方向からなされていることが記されています。

Ⅰ 自然を通しての啓示(1~6)
 天地は、神の被造物であり、創造なる神のメッセージを伝えています。自然を通して神の存在のたたずまいを感じさせられます。「呼び声」とは、糸とか綱を意味する語で、背後にあって被造物の隅々まで、神は恵みの支配の糸ですべてをたぐっておられるのです。

Ⅱ 神の言葉を通しての啓示(7~11)
 自然界からでは、はっきりと神がどういう方かを知ることができません。ですから、神は自らをはっきりとどういう者か示すために、神のことばを聖書に記して語ってくださいました。神のみ言葉には力があり、人を諭すだけではなく、人の魂を満たし、造り変えるのです。

Ⅲ 人の良心への啓示
 神の言葉に触れますときに、人の良心は目覚め、自らの罪深さを知るのです。そして、神の前にへりくだり、悔い改め、神の救いを受け、神に頼る者となるのです。それをなさしめるのは、聖霊の働きであり、主イエスの十字架と復活の福音が、信じる者のうちになされるのです。

 これからも神の愛のメッセージを信仰をもって受け取っていこうではありませんか。

2010/3/21 説教者 杉本守
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講壇の花

2010年03月21日 | 生花
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