静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2010年03月21日 | 天のマナ
 「主の受難を前に黙想する」

「カウンセラーのヘレン・ルークは、こう忠告する。わたしたちが、静まる時を持たないなら、成長の可能性は消え失せ、退歩することになる。これはパラドックス(逆説)であり、静かに立ち止まるときに、わたしたちは、もっとも深く進歩することが出来るのだ。」(スー・モンク・キッド『心が待つとき』34ページ)

 待つとは、わたしにとって、静まって瞑想することだと気づかされた。静まるとき、自分の内に聖霊の臨在を感じ、全能なるお方が取り囲んでいてくださることに、気づかされる。神が、待つことへとわたしを導かれるとき、それは、「静まって、わたしが神であることを知れ」という御言葉を、リアルに味わうようにと、神が父としてわたしを招いておられるのだ。静まるとき、わたしたちの感覚は命へと呼び覚まされる。静けさの中で、わたしの魂は、静かな流れがささやく声に耳を傾ける。その声は、燃える生き方へと、わたしを導く。

(「ジャスト・エッジング」より抜粋させていただきました)
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