「隠れた事を見ておられる神」 マタイによる福音書6章1~8節
6章は、神を信じる者の生活のことが記されています。特に当時のユダヤ人たちは、施し、祈り、断食を非常に重要視していました。主イエスは、これらのことについて、真の信仰者の姿を語りました。
Ⅰ 人前での義
ユダヤ人の中でもユダヤ教の一派であるパリサイ人達は、これら三つのことにおいて、本来の目的である「神の栄光のための施し、神に聴いていただくための祈り、神との深い交わりのための断食」を変えてしまい、自らの信仰の深さや敬虔な生活の表明として、人に見られ人に聞かれるために誇示していたのでした。
彼らは、人々から賞賛されることによって、報いは受けてしまっていました。
Ⅱ 神の前での義
しかし、主イエスは、彼らのようになるのではなく、真の信仰者は、これら三つのことにおいても、人々にも自らにも(自らの善行を何時までも誇り覚えていないで忘れること)知られないように隠れた所でしなさいと述べたのでした。
それは、隠れたところにおいでになる父なる神、隠れたことを見ておられる父なる神が、あなたに報いられるからであります。
「すると隠れた事をみておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」
私達クリスチャンの歩みが、何よりも主に喜ばれる信仰者でありたいのです。
2010/1/3 説教者 杉本守
6章は、神を信じる者の生活のことが記されています。特に当時のユダヤ人たちは、施し、祈り、断食を非常に重要視していました。主イエスは、これらのことについて、真の信仰者の姿を語りました。
Ⅰ 人前での義
ユダヤ人の中でもユダヤ教の一派であるパリサイ人達は、これら三つのことにおいて、本来の目的である「神の栄光のための施し、神に聴いていただくための祈り、神との深い交わりのための断食」を変えてしまい、自らの信仰の深さや敬虔な生活の表明として、人に見られ人に聞かれるために誇示していたのでした。
彼らは、人々から賞賛されることによって、報いは受けてしまっていました。
Ⅱ 神の前での義
しかし、主イエスは、彼らのようになるのではなく、真の信仰者は、これら三つのことにおいても、人々にも自らにも(自らの善行を何時までも誇り覚えていないで忘れること)知られないように隠れた所でしなさいと述べたのでした。
それは、隠れたところにおいでになる父なる神、隠れたことを見ておられる父なる神が、あなたに報いられるからであります。
「すると隠れた事をみておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」
私達クリスチャンの歩みが、何よりも主に喜ばれる信仰者でありたいのです。
2010/1/3 説教者 杉本守