静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年01月03日 | 説教要約
「隠れた事を見ておられる神」 マタイによる福音書6章1~8節

 6章は、神を信じる者の生活のことが記されています。特に当時のユダヤ人たちは、施し、祈り、断食を非常に重要視していました。主イエスは、これらのことについて、真の信仰者の姿を語りました。

Ⅰ 人前での義
 ユダヤ人の中でもユダヤ教の一派であるパリサイ人達は、これら三つのことにおいて、本来の目的である「神の栄光のための施し、神に聴いていただくための祈り、神との深い交わりのための断食」を変えてしまい、自らの信仰の深さや敬虔な生活の表明として、人に見られ人に聞かれるために誇示していたのでした。
 彼らは、人々から賞賛されることによって、報いは受けてしまっていました。

Ⅱ 神の前での義
 しかし、主イエスは、彼らのようになるのではなく、真の信仰者は、これら三つのことにおいても、人々にも自らにも(自らの善行を何時までも誇り覚えていないで忘れること)知られないように隠れた所でしなさいと述べたのでした。
 それは、隠れたところにおいでになる父なる神、隠れたことを見ておられる父なる神が、あなたに報いられるからであります。

 「すると隠れた事をみておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」

 私達クリスチャンの歩みが、何よりも主に喜ばれる信仰者でありたいのです。

2010/1/3 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年01月03日 | 天のマナ
 「主イエスを喜ぶことは」
 
 2010年の教会のみ言葉は、「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(ネヘミヤ記8章8節)のみ言葉です。

 新しい年にあたり、私達は、「力」をいただきたいと願うのです。ここでいう「力」とは、「世の中の力」とは違い、「聖霊の力」であります。「聖霊の力とは、御霊の賜物であり、御霊の実」であります。「人間的な力」の弱さや限界を知らされている私達に必要で欠かせないものは、まさしく「この聖霊の力」であります。ではどうしたら「この力」を得られるのでしょうか。それは、「主を喜ぶこと」です。「聖霊なる神を喜んで歓迎し、心に迎え入れ、主なる神をほめたたえること」です。

 この一年、礼拝、祈祷会、セル・グループだけではなく、家においてもデボーションで、家事の中で、仕事場でも賛美が内から湧いてくる時、神の力に満たされるのです。

2010/1/3
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講壇の花

2010年01月03日 | 生花
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