静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年09月13日 | 説教要約
「神を見る心のきよい者」 マタイ5章4~9節

 主イエスの山上の説教より、幸いな人の特徴を見て行きましょう。

 「悲しんでいる人たちは、さいわいである」。この悲しみは一般的な悲しみではなく、神の前に自らの罪を認め悲しむことであります。そこから悔い改めと赦されたい祈りがでるからです。神はその者を赦し慰められます。

 「柔和な人たちは、さいわいである」。この柔和は、神の前に心を頑なにしない、自己主張をしないで、神が語られることに素直に聞き従うことです。神はその者を祝福し、この地上でも永遠の世界でも地を受け継ぐ者とします。

 「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである」。義に飢えかわくとは、神に義とされること、神の救いをうけることをひたすらに求めることです。神はこの者を救い、すべてに満たされます。

 「心の清き人たちは、さいわいである」。この清きは、罪が一つもない、罪を完全におかさない罪なき絶対的完全ではなく、動機が愛において純粋であるということです。私達の心が、神を求める気持ち、神を信じる気持ち、神を愛する気持ち、神に従う気持ちに嘘や偽りがなく、混じりけがないということです。神はこの者をさらにきよくし、神と出会わせてくださるのです。

 幸いな者とは、神との関係が命の関係にあり、神の命の光をいただいて輝くことであります。今週もそうあらせていただきましょう。

2009/9/13 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年09月13日 | 天のマナ
 「主イエスの御手の中で祈る」 

 先週の日曜日の夜、望月兄と共に、富士山に登りました。普段全く運動をしていない私が、無謀にも日本一高い山に挑戦をしたのです。五合目まで車で行き、夜中の11時30分に登りはじめました。最低六合目まで、目標は八合目、気持ちは頂上でした。ゆっくりしたペースで登り、4、5回は途中で休んで、スポーツドリンクを飲み、祈祷課題をあげて共に祈りました。六合目、七合目を過ぎ、七合目半、とうとう体力は限界に、気温も5度以下、3000メートルを越え空気も薄く、寝ないで夜登ったこともあり、朝4時前に八合目を目の前にして苦渋の決断、ここで断念しました。

 六合目まで下山し、日の出を見ました。左には富士山の頂上を眺め、前には駿河湾、右には富士市と富士宮市の夜景、後ろには南アルプス、だんだん明るくなる中、空と山々が表現できないほどの色彩を放ち、神が造られた自然、神をほめたたえている自然の美しさに、しばし言葉を失いました。「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩篇19:1)。

その景色の中で、詩篇121篇が拝読され、共に主の御手の中で神に祈りました。
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るのであろうか。わが助けは天と地を造られた主から来る」。

来年は、早朝から登り、頂上を目指します。

2009/9/13
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講壇の花

2009年09月13日 | 生花
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