静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年07月19日 | 説教要約
「私の声を聴かれる神」 詩篇5:1~12

 一日の初めを皆様はどのように歩み出しているでしょうか?
 この詩篇は朝の詩篇と呼ばれています。

Ⅰ 神に呼ばわる者
 この著者は、神を知る者にとって、いかに神との交わりが麗しいかを深く自覚し毎朝体験しています。朝ごとに主と交わるために、心の場所を備えています。また、主を待ち望んでいます。御霊の火は、このように備え待ち望む者の魂に燃え続けるのです。備えをして呼び求めます。

Ⅱ 祈りを聴き応える神
 神は、語ってくださる共に聴いてくださるのです。
 「神の義をもって悪を裁き、同時に私を導き、私の前にあなたの道を真っ直ぐにしてください」と祈る著者の求めに、神は聴き、著者に「神に寄り頼む者を救う」と確信させるこたえを与えるのです。

 私達も朝毎に、神の前に出て神に呼ばわり、神に聴き一日を始めていきしょう。豊かな交わりに生かされましょう。

2009/7/19 説教者 杉本守
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2009年07月19日 | 天のマナ
「命と器」 「御子を持つ者はいのちを持ち」(第一ヨハネ5章12節)

 私達クリスチャンは、二つの誕生日をもっています。肉の誕生日と霊の誕生日です。肉の誕生は母の胎から産まれた日、霊の誕生日とは主イエスを信じた日です。
 主なる神は、母の胎内で私達に命を与えられると同時に、その命を保たせるために器なる肉体を与えてくださいました。命のない肉体は生きていなく、肉体のない命は生きていけません。命と命の器なる肉体の両方があって、生きて行けるのです。
 霊のことについても同じく言えます。私達は主イエスを救い主と信じた時、霊的な命(新生、神との霊的交わりの回復)をいただきました。主イエスの命が、今も流れ込んできています。この霊的な命をも保たせるためには器が必要であります。主イエスはそれをも私達に与えてくださっています。
 霊の器とは、信仰告白であり、洗礼を受け教会に加わり続けることであり、礼拝をささげ聖餐の恵みにあずかり続けることです。この故に、霊的にも生き生きと歩むことができるのです。

 命のない形式ばかりの器だけにならず、器がなく霊的命を保てない者にもならず、主イエスのあふれる命を豊かな器で受け、歩んでいきたいのです。

2009・7・19
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2009年07月19日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする