静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年07月05日 | 説教要約
「み顔の光を照らして下さい」(詩篇4篇1~8節)

 息子アブサロムの反逆にて、王座を落ちて行ったダビデが最初の危機を乗り越えた時に歌った詩であり、詩篇3篇よりも数日後の詩であります。

Ⅰ 主を仰ぐ者の悩み
 息子アブサロムとダビデの側近達は、ダビデに反逆しました。彼らは、ダビデが油注がれ王として神に召されていることをないがしろにし、ダビデをはずかしめ、アブサロムの空しい言葉を愛し、アブサロムの偽りをしたい求めたのでありました。ダビデの苦悩をここにみます。

Ⅱ 主を仰ぐ者の呼ばわり
 この時、ダビデは主の前に出て呼ばわります。不正に対して怒っても罪(うらみ、報復など)を犯さず、静まって、神の前に正しい生き方をして、主に寄り頼む姿勢を彼はもっていました。
 呼ばわることは、神との人格的な交わりです。そして、ダビデとダビデの従者にみ顔の光を照らして下さいと祈ったのです。

Ⅲ 主を仰ぐ者への主の応え
 神は、そういうダビデをくつろがせ、心に喜びと平安を与えたのでした。さらに、王座へ戻すのでした。

 私達も苦悩の時がありますが、主に呼ばわり、神によってくつろがせていただき、ますます主の栄光をあらわさせていただきましょう。

2009/7/5 説教者 杉本 守
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天のマナ

2009年07月05日 | 天のマナ
「きよい者として」  

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)

 あわただしさと繰り返しのように感じる日常生活の中で、私達は日々歩んでいます。あっという間に一日が過ぎ、一週間が過ぎてしまうのではないでしょうか。もちろん、日常生活が主によって守られ、歩む事ができていることは幸いであり感謝であります。

 しかし、それで満足してしまってよいのでしょうか。時には日常を離れ、年に一度は神の恵みの高き嶺に、神の恵みの深みへ行き、神様の隠されている奥義を聖会やキャンプで、信仰によって体験してくることが必要なのではないのでしょうか?神の恵みは深く深く深いのです。

 私達の日本ホーリネス教団は、年に一度、箱根で夏季聖会を開いています。神は私達を救い(義認)、所属としてきよい者としてくださいました。私達はきよい者です。しかし、そのままではいけません。きよくされた者は、きよい者にふさわしくなおなおされていく必要があるのです。それは、信仰によりきよめの体験をし、聖霊に満たされ、きよめられ続けることであります。

 ご存知のこの終末の時代の社会の中で生きるキリスト者がきよく歩む為には、きよめの恵みを受けることが欠かせません。3日間は難しい方も1日でも参加しましょう。教会から車が出ます。

2009/7/5
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講壇の花

2009年07月05日 | 生花
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