静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年07月12日 | 説教要約
「神の心にかなう方」 マタイによる福音書3章13~17節

 主イエスの洗礼の記事から、主のメッセージをいただきましょう。

Ⅰ 洗礼の意味
 私達における洗礼は、「自らの罪を認め悔い改め、主イエスを救い主と信じ告白した者が、キリストの体なる教会に連なるために、自らの信仰を公にあらわす」という意味があります。神に背いてきた歩みから、神に従う歩みへと変えられた救いの経験を洗礼は表しています。この洗礼は、主イエスが命じられたものであり、弱く変わりやすい私達のために備えられた恵みの礼典の一つであります。
 しかし、主イエスの洗礼は、私達の洗礼とは意味が違います。主イエスは罪のない方であります。救い主としてこの世界にきてくださった主イエスの洗礼は、メシア(救い主キリスト)としての自らを公にあらわす、公生涯へのスタートでありました。

Ⅱ 主イエスの洗礼
 主イエスが洗礼を受けた時、二つのことが起こりました。一つは、天からの声です。「これはわたしの愛する子」は、詩篇2篇真の王としてのメシヤが語られている箇所からの引用であり、「わたしの心にかなう者」は、イザヤ書42章受難の僕としてのメシヤが語られている箇所からの引用です。つまり、救い主イエスは、真の王でありながら、十字架という受難を受ける救い主として歩むことが父なる神からの宣言だったのです。主イエスは、自らを聖別し献身をもってこれに応えました。
 二つ目は、聖霊の注ぎです。この使命を主イエスが果たせるように、聖霊が注がれたのでありました。

 私達の救いのために自らを聖別し献身し進み出でてくださった主イエスに感謝すると共に、先に救われている私達も、聖別をいただき、献身をもって主に仕えていきたいのです。

2009/7/12 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年07月12日 | 天のマナ
「セル・グループ(恵みと重荷の分かち合い)の恵み」

 先週は、4箇所で4つのセル・グループ(シメオン、ヨシュア、ハンナ、グレジャム)が持たれました。それぞれに特徴のあるセル・グループで嬉しく思っています。なかなか主日礼拝の後では時間をとって交われませんが、平日に集ると時間がとれ、恵みと重荷の分かち合いをし、共に祈る恵みを体験できます。

 共同体で主と交わる礼拝、個人で主と交わるデボーション、グループの中に、兄弟姉妹の間におられる主と交わるセル・グループ、どれも私達の信仰を成長させ成熟させるに欠かせない時であります。

 9日(木)の夜に持たれたグレジャムには、高校生~大学生が21名集り、遠方より5人の大学生のゲストが来てくださり、賛美を導いて下さいました。食事、賛美、ゲーム、救いの証し、「神」というテーマでのメッセージ、テーマに即して4グループでの分かち合い、そして祈り。半分はこれからクリスチャンになる学生達であり、伝道を兼ねた幸いなセル・グループでした。

 なかなかセル・グループに集えない方もいらっしゃると思いますが、一回でも二回でも、時間のゆるされる時に是非お集いください。
 
                     マタイによる福音書18章20節
「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集っている所には、わたしもその中にいるのである。」

2009/7/12
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講壇の花

2009年07月12日 | 生花
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