静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2009年04月05日 | 天のマナ
 「いつでもどこでも誰にでも信仰告白を」 
    
 今年の大島春キャンプのテーマは、「信仰告白」でした。小学6年~社会人まで、主イエスの救いを受けた者が、救いの確信を得、救いの御言葉を確認し、自分の体験した救いを自分の言葉で、キャンドル・ファイヤーの時に告白いたしました。それは、聖書にある救いの説明ではなく、自らが体験したことを表明したものでした。「主イエスを救い主と信じる前、信じた時、信じた後」というふうに項目を付けた告白は、聞く者にもわかりやすく、はっきりと聞き取ることができました。

 一人の中学生の信仰告白が特に心に残っています。彼は、クリスチャン・ホームで小さい時から教会学校に通っていました。しかし、主イエスを信じる前は、その時間は苦痛でしかないものでした。小学校4年生の夏の奥多摩キャンプで、本当に自分の罪が示され悔改め、ヨハネ1:12の御言葉により、主イエスを自分の救い主とて信じました。心が軽くなった感じがし、それからは、教会の先生の話を聞くのが楽しみになったようです。そして、「今では、安心が心にあり、本当に神さまが一緒にいるんだなあと感じている」と語ってくれました。信仰告白の文集が今週に出されます。読みたい方は牧師まで。

2009/4/5
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主日礼拝説教要約

2009年04月05日 | 説教要約
「救いを成し遂げられた主イエス」 ルカによる福音書23章44~49節

 受難週にあたり、主イエスの十字架上の7つの言葉の最後の4つを通して、主の御言葉をいただきましょう。

Ⅰ 神に捨てられた救い主イエス
 三位一体(父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神)なる神のの交わりは、この世界が造られるはるか昔からの永遠のものであり、何ものによっても切られることがない深い関係でありました。しかし、この関係が切られ、御子なる救い主イエスは、見捨てられたのでありました。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と主イエスは叫ばれました。
 父なる神に100%従い、十字架までかかられた主イエスなのに、父なる神に捨てられたのです。それは、主イエスが、私達人間の罪を負われたからでありました。この主イエスの叫びは、確かに主イエスは、人類の罪を負われた証拠であり、私達の代わりに神からの裁きを受けた根拠であります。この捨てられた叫びの事実が、私達のための身代わりとなった事実と救いの証拠なのです。

Ⅱ 神を信頼し続けた救い主イエス 
 父なる神に捨てられた救い主イエスは、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と述べ、なお、父なる神に信頼し続けます。そして、「すべてが終わった」と言われました。それは、「人間の贖い、人類の救いが成し遂げられた」ということであります。まさしく、十字架によって、人間の罪へのゆるしと救いの道が完成したのであります。

 あなたの目の前に、主イエスが十字架でいのちを捨てられて与えられた救いが差し出されています。信じ受け入れる時に、それはあなたのものとなるのです。

2009/4/5 説教者 杉本 守
 
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講壇の花

2009年04月05日 | 生花
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