Illustration by Keiko Totuka (c)2007
「ゆるしの恵みと確信」
ある信徒の方から、2月9日静岡新聞に次のような記事が掲載されていたことを教えてもらいました。
「水戸市のスポーツ用品店『ビバスポーツ水戸店』に、13年前に茨城県つくば市の店舗でパーカー一着を万引きしたことを告白、弁償金として一万円を同封した匿名の手紙が届いていたことが八日、分かった。手紙は『わたしはクリスチャン』として『盗みをしている者は、もう盗んではならない』とする聖書の一節を引用して謝罪。店側は被害は確認できないとしているが「長年、心に傷を負っていたのだろう」と一万円を慈善団体に寄付する方向で検討している。手紙は7日に届き、A4の紙一枚に『万引きしていました。八千円相当のものです。良心が大変痛み反省しました。品物はもう手元にありませんので弁償させていただく形になります』などと印字されていた。消印は『筑波学園』だった。筑波の店舗は数年前に閉店しており、変わりに水戸店に手紙を送ったらしい」。
この記事よりも「神に赦されると同時に、人にもゆるされる」ことの大切さを教えられます。それが、「ゆるされた」ことをさらに深く確信させ喜びを溢れさせるのです。
「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。罪を主に認められない人は、さいわいである」(ローマ4章7、8節)
2008/3/2