「だれも私のことを思って心を痛めない」 第一サムエル記22章1~8節
イスラエルの初代王サウルは、家来であるダビデがどんどん強くなり、手柄を立て、みんなの人気者になっていく姿を見て、恐れを抱くようになりました。それは、「彼は、これからもっと強くなる。そして、私から王位を奪い、私の命、私の家族の命を奪おうとたくらんでいる」と思ったからです。自分の王位、自分の命、そして、家族の命を守るためにサウルは、何度もダビデを殺そうと試みますが、いつも失敗してしまいます。
あるときは、サウルの娘ミカルがダビデを救い、またあるときは、預言者サムエルがダビデを救いました。そして、またあるときは、サウルの息子ヨナタンがダビデの命を守りました。こんなに自分がつらい思いをしているのに誰も自分の味方になってくれない、みんながダビデの肩をもつ・・。誰も私のことを思って心を痛めない・・・。サウルは、孤独の中で心がつぶれそうになります。
しかし、本当に誰もサウルのために心を痛めなかったのでしょうか・・・?
そんなことは、ありません。彼は、とても多くの人に愛されていた王でした。
息子ヨナタンは、親友ダビデと父サウルの間に入りとても心を痛めていた人でした。そして、ヨナタンは、ダビデを愛していたからこそダビデの命を守りましたが、それと同時に愛する父に(殺人)罪を犯してほしくないとも思っていたのです。
サムエルだってサウルのことを思っていました。サウルは、神様の御言葉を捨てたことによって王位を退けられましたが、そんな彼のためにサムエルは、ずっと悲しんでくれました。「あなたは、いつまでもサウルのために悲しんでいるのか」と、神様に叱られるくらいサムエルは、サウルのことを思っていたのです。
しかし、サウルは、彼らのそういった思いに気づくことが、できませんでした。
人に愛されることは、幸せなことです。しかし、いくらたくさん愛されていてもその愛に気がつかない人は、不幸です。私たちも、たくさんの愛をいただきながら、その愛に気づくことができず、サウルのように「誰も私のことを思って心を痛めない」と、言ってしまうことがあります。しかし、間違っては、いけません。わたしのために、あなたのために心を痛めてくださっている方が確かにいるのです。その方こそイエスキリストです。イエス様は、私たちのために体も心もぼろぼろになるほど傷ついてくださいました。私たちが癒されるために徹底的に苦しんで、悲しんで、傷ついてくださったのです。
この愛に気づく時に人は、様々な恐れや悲しみや孤独から解放されます。この愛を信じて幸せな人になりましょう
2007/9/23 説教者 酒井有希子(清水教会牧師)
イスラエルの初代王サウルは、家来であるダビデがどんどん強くなり、手柄を立て、みんなの人気者になっていく姿を見て、恐れを抱くようになりました。それは、「彼は、これからもっと強くなる。そして、私から王位を奪い、私の命、私の家族の命を奪おうとたくらんでいる」と思ったからです。自分の王位、自分の命、そして、家族の命を守るためにサウルは、何度もダビデを殺そうと試みますが、いつも失敗してしまいます。
あるときは、サウルの娘ミカルがダビデを救い、またあるときは、預言者サムエルがダビデを救いました。そして、またあるときは、サウルの息子ヨナタンがダビデの命を守りました。こんなに自分がつらい思いをしているのに誰も自分の味方になってくれない、みんながダビデの肩をもつ・・。誰も私のことを思って心を痛めない・・・。サウルは、孤独の中で心がつぶれそうになります。
しかし、本当に誰もサウルのために心を痛めなかったのでしょうか・・・?
そんなことは、ありません。彼は、とても多くの人に愛されていた王でした。
息子ヨナタンは、親友ダビデと父サウルの間に入りとても心を痛めていた人でした。そして、ヨナタンは、ダビデを愛していたからこそダビデの命を守りましたが、それと同時に愛する父に(殺人)罪を犯してほしくないとも思っていたのです。
サムエルだってサウルのことを思っていました。サウルは、神様の御言葉を捨てたことによって王位を退けられましたが、そんな彼のためにサムエルは、ずっと悲しんでくれました。「あなたは、いつまでもサウルのために悲しんでいるのか」と、神様に叱られるくらいサムエルは、サウルのことを思っていたのです。
しかし、サウルは、彼らのそういった思いに気づくことが、できませんでした。
人に愛されることは、幸せなことです。しかし、いくらたくさん愛されていてもその愛に気がつかない人は、不幸です。私たちも、たくさんの愛をいただきながら、その愛に気づくことができず、サウルのように「誰も私のことを思って心を痛めない」と、言ってしまうことがあります。しかし、間違っては、いけません。わたしのために、あなたのために心を痛めてくださっている方が確かにいるのです。その方こそイエスキリストです。イエス様は、私たちのために体も心もぼろぼろになるほど傷ついてくださいました。私たちが癒されるために徹底的に苦しんで、悲しんで、傷ついてくださったのです。
この愛に気づく時に人は、様々な恐れや悲しみや孤独から解放されます。この愛を信じて幸せな人になりましょう
2007/9/23 説教者 酒井有希子(清水教会牧師)